Waves J37 Tapeは、Abbey Road Studiosが1965年に導入した1インチ4トラックレコーダーを、特定の1台としてモデリングしたテープサチュレーションプラグインです。この記事では、888・811・815という3つのEMIテープフォーミュラの違い、7.5 ipsと15 ipsが何を変えるのか、そして各パラメーターの初期値がなぜその位置に置かれているのかを、公式ユーザーガイドの記載から整理します。
テープ系プラグインは「挿せば温かくなる」と説明されがちですが、J37の初期状態は逆です。Formula 815・15 ips・Nominal Biasという組み合わせを、公式ガイドは「最もフラットな設定」と明記しています。色を足す前の地点から出発し、フォーミュラと速度で色を選びに行く。この順序が設計の前提です。
以下の範囲・初期値はすべてWaves / Abbey Road J37のユーザーガイド記載の値です。編集部はこの製品を所有していないため、音の印象ではなく、公式資料から確認できる仕様と設計の理屈だけを扱います。
カホテープ系は感覚で語られやすいけど、J37は初期値の置き方に理屈がある。そこを読めば、どのつまみから触るべきかは自然に決まる。
この記事でわかること
- 888・811・815の3フォーミュラは、年代が新しいほど歪みが減る並びであること
- 7.5 ipsと15 ipsが、高域特性・THD・ノイズの音程のどれを動かすのか
- Input Levelの初期値が-9 dB、Output Levelが+9 dBに振られている理由
- Wow・Flutterの「0」が無効ではなく、実機の実測平均値であること
J37 Tapeとは|何を解決する製品か
WavesとAbbey Road Studiosの共同開発によるテープサチュレーションプラグインです。実機のJ37は1インチ4トラックレコーダーで、スイスの録音機器のパイオニアであるStuderが設計した同社初のマルチトラック機にあたります。Abbey Roadは1965年に新品4台を購入し、8トラック機が導入されるまでほぼすべての録音で使いました(公式ユーザーガイドは8トラック機の導入を1969年としています)。プラグインにはTape Speed、Bias、Noise、Saturation、Wow、Flutterのほか、EMIが1960〜70年代に自社スタジオ専用として開発した3種類の酸化テープフォーミュラがモデリングされています。
公式ガイドが挙げるもっとも一般的な用途は2つです。平板なトラックにキャラクターを与えること、そしてコンプレッサーを使わずに音を圧縮すること。J37のテープコンプレッションには時定数が存在しないため、一般的なコンプレッサーで起こるポンピングなどのアーティファクトが生じない、と明記されています。アコースティックギターのトランジェントや耳につく高域をなめらかにする、クリーンなエレキギターにクリーミーな軽い歪みを与える、キックを60年代的な質感に寄せる、といった例が挙げられています。コンポーネントはMonoとStereoの2つです。
設計思想:なぜこの効き方をするのか
モデリング対象は「テープ一般」ではなく「あの4台」
実機はEMIの試験を経ていくつか改修されています。そのひとつが録音カーブの扱いです。EQプリセットスイッチは本来NAB(米国)とCCIR(欧州)を選べましたが、EMI承認のCCIRに固定されました。プラグインのコントロール一覧に録音カーブの切り替えが無いのは、この固定された状態を再現しているからです。汎用テープシミュレーターなら選択肢として並ぶはずの項目が、そもそも設けられていない。何を可変にして何を固定するかに、モデリングの範囲がそのまま出ています。
3つのフォーミュラは、年代が新しいほど歪みが減る
888・811・815は「ヴィンテージ/標準/モダン」という性格の区分ではありません。EMIがこの順に開発した年代順の並びで、新しいものほど素直になります。
| フォーミュラ | 年代 | ユーザーガイドの記述 |
|---|---|---|
| 888 | 60年代前半 | 他の2つより「lo-fi」で粒立ちが粗い。1 kHz〜8 kHzの歪みが多い |
| 811 | 60年代中〜後半 | 888より高域特性が良く、歪みがやや少ない |
| 815 | 70年代前半 | 811よりフラットな高域で歪みが少ない。色付けを最小にしたいときに推奨 |
したがって「汚したいなら888、色を足したくないなら815」が正しい方向です。初期値が815なのは、もっとも素直な地点を出発点にするため。フォーミュラを古い側へ動かすことが「効果を強める」操作にあたります。
Input -9 dB / Output +9 dBという初期値の根拠
Input LevelとOutput Levelはどちらも-18 dB〜+18 dBですが、初期値はInputが-9 dB、Outputが+9 dBです。ユーザーガイドはこの理由を明記しています。現代の信号ラウドネスに合わせるためであり、両方を0にした状態が「The Abbey Road Sound」にもっとも近い、と。つまり初期状態は、現代のミックスから来る大きい信号を突っ込んでも破綻しないよう入力を下げてある状態で、当時に寄せたいなら0へ戻す必要があります。デフォルトが正解という思い込みが通用しない箇所です。
Level Linkは初期状態でオンで、その関係は反比例です。Inputを上げるとOutputが同じ分だけ下がる。テープに当たるレベルだけを変えて出音の音量は動かさない構造で、飽和量の比較を音量差に邪魔されずに行うための作法がそのまま機構になっています。



ここから先が、たぶん一番よく取り違えられている。WowとFlutterの「0」は、ゆらぎが無い状態ではない。
Wow・Flutterの「0」は無効ではなく実測値
Wowは遅い速度変動、Flutterは速い速度変動で、どちらもピッチのゆらぎとして聞こえます。テープがヘッド上で振動して生じる高速成分は scrape flutter と呼ばれます。なお公式ガイドは、Wowをモーターの速度不整による周波数変調、Flutterをテープが録音ヘッドに対して動くことで生じる振幅変調と説明しています。J37はそれぞれDepthとRateの2つを持ちます。
重要なのは値の意味です。Wow DepthとFlutter Depthの範囲はOff(-50)〜+50で、初期値の0は「実機のJ37で測定された平均値」。負の値が効果を減らし、正の値が増やします。ゆらぎを切るにはOff、つまり-50側へ振り切る必要があり、0のまま「揺れを切ったつもり」でいると実機相当のゆらぎが乗り続けます。さらにWowとFlutterはテープスピードによって挙動が変わるため、同じ値でも15 ipsと7.5 ipsで結果が異なります。数値がエフェクト量の絶対指定ではなく、機構モデルに対するオフセットとして定義されているということです。
半端な数字には、たいてい機構の理由がある
Delay Timeの初期値は184 msです。この半端な値は、7.5 ipsにおける録音ヘッドと再生ヘッドの距離を反映したもの。テープマシンのディレイは、録音した信号が再生ヘッドに届くまでの物理的な遅れそのものなので、初期値をその実距離に置くことでディレイ部が機構の再現であることを示しています。Delay Levelを50%以上にすると、テープの伝達関数と入力信号のトナリティによって無限フィードバックが起こりうる、という警告が公式に書かれているのも同じ理由です。
Modeled Tracksも同様です。Stereoの初期値2+3は、左チャンネルにトラック2、右チャンネルにトラック3の処理を当てる設定で、公式ガイドは「より広いステレオイメージが得られ、ステレオトラックをテープに録音したときに実際に起こることをよく反映する」と説明しています。同じ機械の別トラックでも特性は完全には一致しない、という個体差がモデルに含まれている。ステレオ幅が想定外に広がったときの原因はここで、2または3を選べば左右に同じ処理が当たり差は最小化されます。
Saturation Levelの範囲が0〜100ではなく0〜30なのも同じ発想でしょう。ユーザーガイドはこれを「Input Levelを上げてOutput Levelを下げて得られるものとは異なる種類のサチュレーション」と説明し、両方を同時に使ってよいと明記しています。飽和の入口が2つあるので、テープへの当て方を変えたいのか、飽和のキャラクターだけを足したいのかを先に決めると触る場所が決まります。
全パラメーター
| パラメーター | 範囲 | 初期値 | 何が変わるか |
|---|---|---|---|
| Input Level | -18 dB〜+18 dB | -9 dB | テープに当たるレベル。高いほど歪み・飽和・圧縮が増す |
| Output Level | -18 dB〜+18 dB | +9 dB | 全体の出力レベル |
| Level Link | On / Off | On | InputとOutputを反比例で連結 |
| Tape Formula | 888 / 811 / 815 | 815 | 録音フォーミュラの種類 |
| Speed | 7.5 ips / 15 ips | 15 ips | 15 ipsは高域が伸び、ノイズが1オクターブ高い |
| Bias | Nominal / +3 dB Over / +5 dB Over | Nominal(+1.5 dB bias) | 超音波バイアス信号のレベル |
| Modeled Tracks | Mono: 2 / 3 Stereo: 2 / 2+3 / 3 | Mono: 2 Stereo: 2+3 | 処理に使うモデル済みトラック |
| Wow Depth | Off(-50)〜+50 | 0 | 周波数変調の量。0が実機の実測平均 |
| Wow Rate | -50〜+50 | 0 | 既定のWow周波数からのずれ |
| Flutter Depth | Off(-50)〜+50 | 0 | Flutterの量。0が実機の実測平均 |
| Flutter Rate | -50〜+50 | 0 | 既定のFlutterレートからのずれ |
| Noise Level | -24 dB〜+24 dB | Off | モデリングされたノイズの量 |
| Saturation Level | 0〜30 | 0 | 入力ドライブとは別系統の飽和 |
| Delay Type | Slap / Feedback(Ping-Pongはステレオのみ) | Slap | ディレイの種類 |
| Delay Mode | Insert / Send-Return | Insert | Send-Returnはダイレクト音を出力から除く |
| Delay Level | Slap: Off(-40 dB)〜0 dB Feedback/Ping-Pong: Off〜100 | Off | 50%以上で無限フィードバックの可能性 |
| Delay Time | 1 ms〜2000 ms | 184 ms | 7.5 ipsのヘッド間距離に由来する初期値 |
| Delay Link | On / Off | On | Delay LevelとTimeを連結 |
| Delay Sync | 1/64T〜1/1 | Off | 2秒上限のため120 BPM未満は全音符不可 |
| Delay HP | 16.1 Hz〜21357 Hz | Off(16 Hz) | ディレイ経路のみのハイパス |
| Delay LP | 21203.9 Hz〜16 Hz | Off(21357 Hz) | ディレイ経路のみのローパス |
| VU Meter / Meter I/O | -20 VU〜+3 VU/Input・Output | Input | メーターの表示対象と範囲 |
| VU Calibration | 8 dB〜24 dB | 18 dB | メーターのヘッドルーム校正 |
用途別・設定の始点
| 目的・素材 | 触る場所 | 根拠 |
|---|---|---|
| アコギ・ボーカル・ストリングス・ブラス | Speed: 15 ips | 高域の扱いに繊細さが要る素材に推奨 |
| キック・ベース・チェロ・エレキ | Speed: 7.5 ips | 低域寄りの素材に推奨 |
| もっと汚したい | Formula: 888、速度は低い方 | 古いフォーミュラと低速でよりダーティに |
| 色付けを最小にしたい | 815/15 ips/Nominal Bias | もっとも「フラット」な組み合わせ |
| 当時の質感に寄せたい | Input・Outputをともに0に | 「The Abbey Road Sound」に最も近い設定 |
| コンプ的に使いたい | Input Levelを上げる | 時定数を持たずポンピングが起きない |
| ステレオ幅が広すぎる | Modeled Tracksを2または3に | 左右に同じ処理が当たり効果が最小化 |
| 極端な効果がほしい | WowとFlutter | エクストリームな効果の手段として明記 |
入力レベルの目安も公式に示されています。平均で-3〜0 VUに収めるとプラグイン内部のゲイン構造が適切になり、ピークは+1 VU〜+2 VUを超えないようにする、というものです。3つのフォーミュラが作られた当時は録音レベルが今よりかなり低かったため、信号が「テープに当たる」レベルに注意せよ、という但し書きが添えられています。



現代のミックスをそのまま突っ込むと針が右に張り付く。効きが強すぎると感じたときは、たいてい設定ではなく入力レベルの問題。
似た製品との使い分け
同じWavesのテープ系にKramer Master Tapeがあります。こちらはEddie Kramerと共同開発された製品で、ロンドンのOlympic Studiosで使われていた¼インチの真空管式リール・トゥ・リール機がモデルです。J37は1インチ4トラック、Abbey Road。出自も年代も国も違う機械なので、優劣ではなく「どちらの現場の音か」で選ぶ対象になります。素材ごとにキャラクターを作り分ける用途では、3フォーミュラ×2速度に加えてトラック2/3の選択まで持つJ37の自由度が向きます。
J37を「コンプの代わり」として使うなら、通常のコンプレッサーとの違いは押さえておく必要があります。テープコンプレッションには時定数がなく、アタックやリリースで挙動を作れません。狙った時間軸の動きを作りたいならコンプレッサーの基礎の領域です。ヴィンテージ機材の再現という括りでは、同じくEddie Kramerの録音チェーンから生まれたKramer PIE Compressorが近い立ち位置にあります。
よくある質問
デフォルトのまま挿すと何が起きますか
Formula 815・15 ips・Nominal Biasという、公式に「もっともフラット」とされる組み合わせで通ります。ただしInputは-9 dB、Outputは+9 dBに振られているため、テープに当たるレベルは控えめです。当時の質感に寄せたい場合は両方を0にするのが公式の指示です。
Wow・Flutterを0にすればゆらぎは消えますか
消えません。0は実機のJ37で測定された平均値です。切りたい場合はOff、つまり-50側へ振り切ります。またテープスピードによって挙動が変わるため、同じ値でも15 ipsと7.5 ipsで結果が異なります。
SaturationとInput Levelはどう違いますか
ユーザーガイドは、Saturationによる飽和と、Inputを上げてOutputを下げて得られる飽和は「別の種類」であり、両方同時に使えると明記しています。Saturationの範囲は0〜30、初期値は0です。
適正な入力レベルはどのくらいですか
平均で-3 VU〜0 VU、ピークで+1 VU〜+2 VUを超えないこと、という目安が公式に示されています。VUメーターのヘッドルーム校正は8 dB〜24 dBの範囲で、初期値は18 dBです。



初期値の意味さえ分かっていれば、あとは素材に合わせて速度とフォーミュラを選ぶだけ。迷う場所が少ないプラグイン。
まとめ
- 初期状態(815・15 ips・Nominal Bias)は「もっともフラットな地点」。色を足す操作はフォーミュラを古い側へ、速度を低い側へ動かすこと。
- Input -9 dB / Output +9 dBは現代のラウドネスに合わせた初期値で、当時の音に寄せるにはともに0へ戻す。
- Wow・Flutterの0は実機の実測平均、ディレイの184 msはヘッド間距離。数値はいずれも機構の再現から来ている。



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