Waves Scheps 73 は、つまみが少ないぶん「なぜその位置なのか」を説明しにくいプラグインです。この記事では公式ユーザーガイドの記載だけを使い、固定された周波数の選択肢がどう決められているか、Pre-Amp と Drive がそれぞれ何を変えているか、そして Stereo / Duo / MS の3モードをどう使い分けるかを分解します。
Scheps 73 は、Neve 1073 の EQ とプリアンプを、ミキシングエンジニアの Andrew Scheps と Waves が共同でモデリングしたプラグインです。公式ガイドは構成を「固定のハイシェルフ周波数、7つのカットオフポイントを持つミッドバンド(最近発見された 10kHz のベルを含む)、4つのカットオフポイントを持つローシェルフ、および4つのカットオフポイントを持つ3次ハイパスフィルター」と説明しています。ここに、穏やかな温かさから強いドライブまでを作るハーモニック・ディストーションが乗ります。
以下の範囲と初期値はすべて現行の公式ユーザーガイド(英語版・全9ページ)の記載で、編集部の実測値ではありません。日本語版マニュアル(v.01 201907・全15ページ)も併読しましたが、EQ の3バンドのゲイン範囲と VU メーターのヘッドルーム校正範囲が、日本語版と現行英語版で食い違います。該当箇所は本文で両方を示します。コンポーネントは Scheps 73 Mono と Scheps 73 Stereo の2種類です。
カホつまみが少ない機材ほど、設計者がどこを削らなかったかが見えます。Scheps 73 は選べる周波数が全部決め打ちで、その代わり歪みの作り方が2系統ある。そこが効き方の正体です。
この記事でわかること
- Pre-Amp の初期設定が、ゲインを上げずに歪みだけを増やす理由
- Drive をオンにすると何が切り替わるのか
- ハイパスだけが左右独立のオン/オフを持っている理由
- Link I/O とヘッドルーム校正で、歪み量だけを公平に比べる手順
Scheps 73とは|何を解決する製品か
公式ガイドの製品概略は、60年代と70年代の音楽が「ミッドレンジの情報量が格段に増えたことにより、暖かく、太く、そして豊かなサウンド」を特徴としていた、という認識から始まります。当時のアナログ機材は現在のプラグインが標準で備える機能をいくつも欠いていましたが、それでも当時のエンジニアに、今日では達成の難しいサウンドを容易に提供していた。その設計をデジタル環境へ持ち込むことが出発点です。
したがってこのプラグインが解決するのは「細かく直すこと」ではありません。周波数を無段階に探して問題点を削るのではなく、あらかじめ選ばれた点に音を当てはめて決める。加えて、EQ を一切動かさなくても信号を通した時点で色が付く。パラメトリック EQ の代わりに置くものではなく、役割の違う道具として併用する前提の製品です。
設計思想:なぜこの効き方をするのか
選択肢を削ることで成立している EQ
Scheps 73 には Q 幅のコントロールがなく、周波数も連続可変ではありません。選べるのは Low の4点(35 / 60 / 110 / 220Hz)、Mid の7点(360Hz / 700Hz / 1.6kHz / 3.2kHz / 4.8kHz / 7.2kHz / 10kHz)、固定の 12kHz ハイシェルフ、そしてハイパスの4点だけです。
一方でゲインは Low・Mid・High とも 0.1dB 単位で動きます。「どこを触るか」は決め打ちで、「どれだけ触るか」は細かい。判断すべき変数がひとつ減っている構造で、周波数を探す作業が発生しないぶん量の判断に集中できます。
ミッドが7ポイントある点は、公式ガイドが「最近発見された 10kHz のベルを含む」と明示しています。ハイシェルフの 12kHz とは別に、高い位置へベル型で当てられる点が用意されているという意味です。シェルビングは指定周波数から上を面で持ち上げますが、ベルは山型なので効き方が変わります。



ミッドの上端が 10kHz まで伸びているのは見落とされやすいところです。高域はハイシェルフ、と決めてかかると、この点は一生使わないまま終わります。
Pre-Amp は「音量」ではなく「歪み」のつまみ
ここが誤解されやすい部分です。公式ガイドは Pre-Amp を「ハーモニック・ディストーションを増加させます」と定義し、初期設定についてこう書いています——「デフォルト設定では、Pre-Amp はゲインを上げず、ハーモニック・ディストーションだけを上げます。歪みは穏やかで、カラーに少しだけ変化を加えます」。
つまり初期値の 0 L の時点ですでに色は付いており、それは音量の変化を伴いません。EQ をフラットのまま挿しても信号が変わるのは、この段があるからです。スケールは2つモデリングされていて、ライン側が -20L から +10L、マイク側が -20M から -80M。どちらも 5dB 単位で切り替わる段階式です。
Drive は延長ではなく切り替え
Drive はオン/オフのスイッチで初期値はオフです。公式ガイドの説明は踏み込んでいて、「Drive コントロールは Scheps 73 をディストーション・ジェネレータに変えます」「ラインレベルの信号をマイクロフォンプリアンプに挿入してディストーション効果をエミュレートする状態へと、プラグインを切り替えます」とあります。
制約も明記されています。Drive がオンのあいだ Pre-Amp のライン選択は使用できず、オンにした時点で設定は自動的に Mic-20 へ切り替わります。そして通常時と違い、Drive 状態では「Pre-Amp はゲインを上げ、大きな歪みが聞こえます」。穏やかな Pre-Amp の延長線上に Drive があるのではなく、別状態への切り替えだと捉えたほうが設定を見誤りません。
Link I/O :歪み量だけを動かして比べる
歪みを増やすと音量も上がり、音量が上がった音は無条件に良く聞こえます。A/B 比較を壊す典型的な要因です。Link I/O は入力レベルと出力レベルを反比例でリンクさせるスイッチで、公式ガイドの表現では「入力レベルの増加は対応する出力レベルの減少をもたらし、逆もまた同様」。Input と Output はそれぞれ +12 〜 -24dB を持つので、突っ込んだ分だけ出力が下がり、音量を揃えたまま歪み量だけを変えられます。初期値はオフなので、比較のときに意識して入れる機能です。



音量が揃っていない比較は、比較ではありません。Link I/O が用意されているということは、設計側も「歪みは音量で誤魔化される」と分かっているということです。
ハイパスだけが左右独立のオン/オフを持つ理由
公式ガイドに理屈がそのまま書かれています。「ハイパスバンドは左右に別々のオン/オフコントロールを持つ唯一のものです、これは 0 ポジション(オフ)を持っていないという事実によるものです」。Low・Mid・High はゲインを 0dB にすれば実質無効化できますが、ハイパスは周波数を選ぶだけのコントロールで、「効かせない」という選択肢が周波数リストに存在しません。だから独立したオン/オフが必要になります。
0VU の位置を決めてから触る
VU メーターは -20VU 〜 +3VU を表示し、ヘッドルーム校正は初期状態で 18dB。メーター右下の小さなネジで、0VU として表示される値を -8 〜 -24dBFS の範囲に変更できます(現行の公式ユーザーガイド p.8。日本語版マニュアルはここを「-12 〜 -24dBFS」と書いており、上端が違います)。歪みの量は入力レベルで決まるため、この校正値を決めずに Pre-Amp を触ると、トラックごとに違う場所で歪ませることになります。基準を先に固定し、そのうえで Pre-Amp と Input を動かす。順序が逆になると再現性が失われます。
全パラメーター
公式ユーザーガイド記載の範囲と初期値です。Monitor・EQ Mode・Faders Link はステレオコンポーネントのみに搭載されます。
| コントロール | 範囲 | 初期値 |
|---|---|---|
| Pre-Amp | -20L〜+10L(ライン)/ -20M〜-80M(マイク)・5dB刻み | 0 L |
| Drive | オン / オフ | オフ |
| High Gain(12kHz シェルビング) | ±15dB・0.1dB単位 | 0dB |
| Mid Frequency | 360Hz / 700Hz / 1.6kHz / 3.2kHz / 4.8kHz / 7.2kHz / 10kHz | 1.6kHz |
| Mid Gain | ±15dB・0.1dB単位 | 0dB |
| Low Frequency | 35Hz / 60Hz / 110Hz / 220Hz | 110Hz |
| Low Gain(シェルビング) | ±15dB・0.1dB単位 | 0dB |
| Low / Mid / High On/Off | オン / オフ(各バンド個別) | オン |
| HP Filter Frequency | 50Hz / 80Hz / 160Hz / 300Hz(3次 -18dB/oct) | 50Hz |
| HP Filter On/Off | オン / オフ(左右独立) | オフ |
| Phase | オン / オフ(EQ ステージ後で反転) | オフ |
| EQ In/Out | イン / アウト | イン |
| Input / Output | 各 +12 〜 -24dB | 0dB |
| Link I/O | オン / オフ(入出力を反比例でリンク) | オフ |
| EQ Mode | Stereo / Duo / MS | Stereo |
| Monitor | Left / Mono / Stereo / Right(MS時は Mid / Mono / Stereo / Sides) | Stereo |
| VU メーター | -20VU 〜 +3VU(表示は Input / Output 切替) | In |
| ヘッドルーム校正 | -8 〜 -24dBFS | 18dB |
この表の数値のうち4つは、日本語版マニュアルと現行英語版で違います。3バンドのゲイン範囲は、日本語版(v.01 201907)が High ±16dB・Mid ±18dB・Low ±18dB としているのに対し、現行英語版(p.6〜p.7)は3本とも ±15dBです。ヘッドルーム校正の範囲も、日本語版は -12 〜 -24dBFS、現行英語版(p.8)は -8 〜 -24dBFSです。0VU に割り当てられる値の上端が -12dBFS ではなく -8dBFS まであるということで、ヘッドルームをより浅い側(8dB)まで詰められることになります。表は現行英語版を採りました。0.1dB 単位・初期値 0dB・校正の初期値 18dB は両版とも同じです。
この4件は文字を読み取って比べるだけでなく、現行版・日本語版それぞれの該当行を誌面ごと拡大して、字の形まで目で確かめています。EQ の効き幅を 18dB 前提で設計していた人は、実機で最後まで回しても 15dB で止まるはずです。
EQ Mode は、Stereo が左右リンク、Duo が左右独立、MS が入力に MS エンコーディングマトリックスを適用するモードです。MS では左側のコントロールがすべて Mid(sum)に、右側が Sides(difference)に効き、チャンネル上部の表示も M と S に変わります。Duo や MS で作った左右差は、Stereo モードへ戻しても保持されます。
用途別・設定の始点
周波数が決め打ちである以上、最初の判断は「どの点を選ぶか」に集約されます。ブースト量は素材によって変わるため、ここでは触る順番と選ぶ点だけを挙げます。
| 用途 | 触る順番 | 選ぶ点の目安 |
|---|---|---|
| ボーカル | HP → Mid → High | HP 80Hz、Mid は 1.6kHz か 3.2kHz、空気感は 12kHz |
| キック | Low → Mid | Low 60Hz、輪郭は Mid 3.2kHz。HP はオフのまま |
| スネア | HP → Low → Mid | HP 80Hz、胴鳴りは Low 220Hz、アタックは Mid 3.2kHz |
| ベース | Low → Mid | Low 110Hz、指やピックの成分は Mid 700Hz 付近 |
| 濁りの整理 | Mid のみ | Mid 360Hz をカット方向へ。ブーストより先に試す |
Pre-Amp は 5dB 刻みなので、細かい追い込みは Input と Output で行い、Pre-Amp は「段を選ぶ」感覚で扱うのが噛み合います。比較の際は前述の Link I/O を併用してください。
似た製品との使い分け
Scheps 73 は補正用の EQ ではありません。特定の周波数を狙って削る作業には、周波数と Q を自由に設定できるパラメトリック EQ が向きます。Waves では Q10 Equalizer がその役割です。問題点の除去は Q10 側、キャラクター付けと決め打ちの持ち上げは Scheps 73 側と分けて直列に置くのが素直な構成になります。
ヴィンテージ機材をモデルにした EQ は Waves に複数あり、当サイトでは V-EQ3・V-EQ4 と、EQ・コンプ・ゲートをまとめた AudioTrack を個別に解説しています。選択は、固定ポイントで決め切りたいのか、自分で周波数を探したいのかで分かれます。なお Scheps 73 単体はダイナミクス処理を持たないため、レベルを均す必要があれば別途コンプレッサーを組み合わせることになります。
よくある質問
Pre-Amp を上げないと意味がないのでは?
そうではありません。公式ガイドは初期設定について「Pre-Amp はゲインを上げず、ハーモニック・ディストーションだけを上げます」と記載しています。0 L のまま挿しても穏やかな色付けは加わっており、それで足りる場面もあります。
ミッドの 10kHz とハイシェルフの 12kHz はどう違いますか?
型が違います。公式ガイド p.4 は、ミッドの 10kHz ポイントを「最近発見された 10kHz のベル」と名指しし、ハイのほうは「固定のハイシェルフ周波数」(p.6 では「high shelf (12 kHz)」)と書いています。ベルは選んだ周波数を中心に山を作り、シェルビングは指定周波数から上を面で持ち上げる。上を面で持ち上げたいならハイシェルフ、特定の帯域だけを狙うならミッドの 10kHz という切り分けになります。なおガイドがベルという語を使っているのはこの 10kHz ポイントについてだけで、ミッドの他の6ポイントの型は明記されていません。
ハイパスのオン/オフが左右別なのはなぜですか?
ハイパスバンドが 0 ポジション(オフ)を持たないためだと公式ガイドに明記されています。他のバンドはゲインを 0dB にすれば無効化できますが、ハイパスは周波数を選ぶだけのコントロールなので、独立したオン/オフが必要になります。
MS モードでは左右のコントロールが何に効きますか?
左側がマトリックスの Mid(sum)、右側が Sides(difference)に効きます。モードに入るとチャンネルのヘッダーに M と S が追加され、左上が M、右上が S になります。
まとめ
- 周波数は Low 4点・Mid 7点・High 12kHz 固定・HP 4点の決め打ち。探す作業を捨て、量の判断に集中させる設計。
- Pre-Amp の初期値はゲインを上げずに歪みだけを加える。Drive はその延長ではなく別状態への切り替え。
- ヘッドルーム校正で 0VU を決め、Link I/O で音量を揃えてから比較する。この順序が再現性を作る。



選択肢が少ない機材は、迷いが少ないぶん判断が速くなります。周波数リストと初期値さえ頭に入っていれば、あとは量を決めるだけです。
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