Waves Kramer Master Tapeのつまみは、ほぼすべてが実機の校正手順から来ています。この記事では、Fluxがなぜ150〜1020 nWb/mという単位で刻まれているのか、Biasの初期値がNominalではなくOverになっている理由、そして何も触らないデフォルト状態が何を再現しているのかを、公式ユーザーガイドと付属のホワイトペーパーの記載から読み解きます。
このプラグインは、エンジニア/プロデューサーのEddie Kramerと共同開発されたテープエミュレーターです。ただし「温かさを足すエフェクト」として設計されたものではありません。ホワイトペーパーは、アナログテープが現代の測定基準ではむしろ信号の解像度を下げること、THDが1%を超えることまではっきり書いたうえで、それでも心地よく聞こえる理由を説明しています。この率直さが、パラメーターの置き方にそのまま出ています。
以下の範囲・初期値はすべてWaves Kramer Master Tapeの公式ユーザーガイド(英語版27ページ/日本語版24ページ)と付属ホワイトペーパー記載の値です。公式資料の外にあることを書いた箇所は、その場で「マニュアルには書かれていない」と分かる形にしてあります。編集部はこの製品を所有していないため、音の印象は扱いません。
まず使い方から知りたい方へ:基本的な操作と導入の流れはWaves Kramer Master Tapeの入門記事にまとめてあります。本稿はその続きとして、各つまみの数値がどこから来ているのかを深掘りする回です。
カホnWb/mという単位が並んでいる時点で、これは感覚で回すつまみではない。校正表がそのままGUIになっている。
この記事でわかること
- Fluxの単位nWb/mが何を表し、185がなぜ基準値なのか
- Biasの初期値がNominalではなくOverに置かれている根拠
- テープの飽和と真空管の飽和が別のつまみに分けられている構造
- デフォルト設定が再現している「当時の業界標準セットアップ」の中身
Kramer Master Tapeとは|何を解決する製品か
モデルになったのは、希少なヴィンテージの¼インチ真空管式リール・トゥ・リール機です。Eddie Kramerが1960年代後半にロンドンのOlympic Studiosで、Jimi Hendrix、Rolling Stones、Led Zeppelin、Trafficらの録音に使っていたのと同種の機械にあたります。
機種名について補足します。本稿が参照した英語版ユーザーガイド全27ページには、2系統のテキスト抽出で全文検索しても「Ampex」の語が1件も出てきません。公式製品ページも「rare vintage ¼″ reel-to-reel machine」としか書いていません。ところが日本語版マニュアルは、同じ製品の解説で機種を明記しています——p.14に「Ampex 350/351 テープレコーダー」、p.16に「Ampex 350 のトランスポートは2種類のテープスピード(15ips/7.5ips)に対応しています」。同じメーカーの公式資料でも、日本語版のほうが踏み込んでいます。後で出てくるSpeedが15 ips/7.5 ipsの2択である理由も、この一文で説明がつきます。
この機械はKramerの録音チェーンの最終段でした。Heliosコンソールの出力を受け、ダイナミクス処理はPYEコンプレッサーが担当する。WavesはそれぞれをKramer HLS Channel、Kramer PIE Compressorとして先に製品化しており、Kramer Master Tapeは残った3つ目のピースを埋めるために作られています。「テープ製品を作りたかった」のではなく「特定の1本のチェーンを完成させたかった」という順序です。コントロールはテープスピード、バイアス、フラックス、ワウ&フラッター、モデリングされたノイズ、そしてスラップ/フィードバックのディレイ部。コンポーネントはMonoとStereoの2つです。
設計思想:なぜこの効き方をするのか
一度、作り直している
ホワイトペーパーが冒頭で認めているとおり、最初のKramer Master Tapeはテスト段階に入って間もなく撤回されました。作り直しで必要だったのは、アルゴリズムの改良より先に「正しい実機と正しいテープを見つけること」です。Bob OlhssonとJohn Haenyの助言で適切なトランスポートと真空管回路にたどり着き、Eric Schillingが所有する良好な個体を使って、2つの主要なテープスピード、複数のテープ乳剤、フラックスとバイアスの各設定、アライメント手法の違いまで含めた測定が行われました。開発には約2年かかったと記されています。
この経緯が意味するのは、Kramer Master Tapeのパラメーターが「音を作るための操作子」ではなく「測定した条件を再現するための座標」だということです。だから単位が生の物理量のまま出ています。
テープが3M Scotch 207である理由
モデリングされたテープは3M Scotch 207です。初期の定番だった111や、Motownが多用した201/202/203という選択肢もありましたが、後者はこのプロジェクトに足るだけの量と耐久性が確保できませんでした。入手できた131は品質が悪く、モデリング工程に耐えなかったとされています。最終的に、開発チームが経験豊富だった206(ベース厚1.5ミリ)と207(1.0ミリ)のうち、ベースの薄い207が選ばれました。※単位は英語版・日本語版マニュアルとも「millimeter(ミリ)」と記載されています。テープのベース厚は通常 mil(1/1000インチ)で表すため、マニュアル側の単位表記に疑問が残りますが、ここでは公式の表記をそのまま示しました。薄いほうがヘッドとの密着(テープラップ)が良く、高域特性がより伸びるためです。プリントスルーは増えますが、プラグインでは問題にならない。物理的な弱点のうちモデルに関係するものだけを取捨選択している判断が見えます。
Fluxが連続可変であることの意味
Fluxは、録音ヘッドからテープに与えられる磁束密度、すなわち動作レベルです。単位はナノウェーバー毎メートル(nWb/m)。動作レベルが高いほどノイズフロアからは遠ざかりますが、歪みには近づきます。1950年代にメーカーが定めた標準動作レベルが185 nWb/mで、これがその後の業界基準になりました。以降のテープはこの185を0 dBとする相対値で格付けされています。ホワイトペーパー掲載の換算表(Quantegy出典)は次のとおりです。
| 相対値 | フラックス |
|---|---|
| -2 dB | 150 nWb/m |
| 0 dB | 185 nWb/m(標準動作レベル) |
| +3 dB | 250 nWb/m |
| +5 dB | 320 nWb/m |
| +6 dB | 370 nWb/m |
| +9 dB | 520 nWb/m |
プラグインのFluxは150〜1020 nWb/mの連続可変で、初期値は185 nWb/m(リファレンス機の0 dB)です。3M Scotch 207の定格は185から250のあいだとされるため、そこを超えた領域では反応が特に敏感になる、と注意書きがあります。Fluxを上げていくと低域と超高域が次第に歪み、同時にノイズレベルは下がる。さらに、上がった動作レベルが真空管の入出力段にも負荷をかけるため、テープ由来とは別のチューブディストーションが重なります。
ホワイトペーパーは、連続可変のフラックスコントロールを実現したのは業界初だと述べています。段階的な切り替えではなく連続にしたことで、動作レベルの違いによる音の変化そのものを耳で追えるようにした、というのが主張です。使う側からはFluxを実質「テープドライブ/サチュレーションコントロール」と考えてよい、とも書かれています。Fluxを上げても出力はユニティゲインのまま一定に保たれるので、音量が上がったから良く聞こえるという錯覚が起きにくい構造です。



飽和を足しても出力が動かない。これはA/B比較で嘘をつかないという意思表示。歪み系で一番ありがたい設計。
テープの飽和と真空管の飽和が分けてある
歪みの入口は2つあります。Fluxはテープの飽和だけに作用し、Record LevelとPlayback Levelは真空管入出力アンプの飽和量を決めます。この2つは独立している、とホワイトペーパーが明記しています。Record Levelを上げてPlayback Levelを下げれば、ユニティゲインを保ったまま真空管サチュレーションだけが増える。Link I/Oはこの2つを反比例で連結する機能で、初期状態はLinkedです。つまりミックス内での音量を動かさずに、テープ飽和と真空管飽和を別々に決められます。MonitorをInputにすればテープ段を通さず真空管段の音だけを取り出せますが、これは純粋なバイパスではありません。
Biasの初期値が「Over」である根拠
バイアスは、録音時に音声信号と一緒に録音ヘッドへ加えられる高周波信号です。ホワイトペーパーの定義では40 kHzから150 kHzの範囲。信号の振幅がゼロ電圧を通過するとき、録音ヘッドが作る磁界はテープ上の磁性酸化粒子を分極させるだけの強さを持たないため歪みが生じます。バイアス電流はこの分極への抵抗を崩し、低レベルでの歪みを避けて録音できるようにするものです。
プラグインが持つのはNominalとOverの2つ。Nominalは実機のオペレーターマニュアルにあるメーカー推奨値で、ノイズはピーク信号より約60 dB低く、高域は2〜3 dB失われ、中程度の高域歪みを伴います。Overは推奨より上げた設定で、Wavesは3M Scotch 207において最良の高域特性・最小の歪み・最良のS/Nが得られる点として、15 kHzで-3 dBとなるオーバーバイアスをモデリングしています。
そしてプラグインの初期値はOverです。1960年代の現場で、多くの技術者がバイアスをわずかに上げると高域特性が改善しノイズも下がることを発見し、それが定着した——という実際の運用のほうを標準に据えている。NominalからOverへ切り替えると、ノイズが少し減り、高域が明瞭になり、全体のダイナミックレンジがやや広がる、と説明されています。「初期値=メーカー推奨」ではないことは、この製品を触るうえで押さえておくべき点です。
デフォルト設定が再現しているもの
以上をまとめると、何も触らない状態のKramer Master Tapeは「3M Scotch 207/15 ips/NABカーブ/15 kHzで-3 dBのオーバーバイアス/185 nWb/m」で録音した結果と同じになる、とホワイトペーパーは書いています。その機械が全盛だった時代の、業界の基本セットアップです。ユーザーに残された判断は、テープと真空管アンプのノイズを乗せるかどうか、乗せるならどの程度か、だけだと述べられています。
録音カーブがNABなのにも理由があります。当時はヨーロッパでCCIR、アメリカでNABが主流でしたが、Olympicにあった機械は判明する限りNAB仕様で、この機械で行われたアメリカのポップ録音の大半もNABでした。もっとも正確な音の署名が得られるという理由でNABが選ばれており、プラグイン側にカーブの選択肢はありません。
ディレイは実機に無い機能で、走行速度にも連動しない
元の機械にディレイ機能はありませんでした。ただし当時、多くのエンジニアがテープマシンをスラップ/フィードバックエコーとして流用していたため、Wavesはその用途をディレイ部として追加しています。設定範囲は1 msから500 msの連続可変で、7.5 ipsに相当する266 ms、15 ipsに相当する133 msという目盛りが用意されています。これは各速度で入力信号と再生信号を同時にモニターしたときに自然に聞こえるスラップの再現です。
注意が必要なのは、このディレイがDelay Timeコントロールだけに支配され、トランスポートの走行速度設定の影響を受けない点です。Speedを7.5 ipsに変えてもディレイタイムは追随しません。方式はテープ再生を入力へ戻すフィードバック型で、ダイレクト信号は常にミックスに含まれます。フィードバック経路にはローパスフィルターが置かれ、繰り返しごとに高域を削れる。ホワイトペーパー自身が「非常にベーシックな機能として意図している」と断っているとおり、細かい造形を求める部品ではありません。
全パラメーター
| パラメーター | 範囲 | 初期値 | 何が変わるか |
|---|---|---|---|
| Speed | 7.5 ips / 15 ips | 15 ips | 15 ipsは高域が伸び、ノイズが1オクターブ高い |
| Monitor | Repro / Input | Repro | Reproは入力+テープ+出力段、Inputは入力真空管段のみ |
| Bias | Nominal / Over | Over | 超音波バイアス信号のレベル |
| Record Level | ±18 dB | 0 dB | 入力レベル。真空管段の飽和量に効く |
| Playback Level | ±18 dB | 0 dB | 総出力レベル |
| Link I/O | Linked / Unlinked | Linked | RecordとPlaybackを反比例で連結 |
| Flux | 150〜1020 nWb/m | 185 nWb/m | 録音ヘッドが与える磁束密度。テープ飽和量 |
| Wow & Flutter | 0〜100 | 50 | 速度と利得の変調。50が実機からモデリングした値 |
| Noise | Off/-40 dB〜0 | Off | テープヒスと真空管の熱雑音。0が実機相当 |
| Delay Time | 1〜500 ms(連続) | 133 ms | 7.5 ips=266 ms、15 ips=133 msの目盛りあり |
| Delay Type | Slap / Feedback | Feedback | ディレイの方式 |
| Delay Level | Off〜100 | Off | ディレイ出力の量 |
| Lowpass | 200 Hz〜16 kHz | 3.5 kHz | ディレイ経路のローパスカットオフ |
| VU Meter | -20〜+3 dBVU | — | 入力または出力レベルの表示 |
| VU Calibration | -24〜-8 dBFS | -18 dBFS | メーターのヘッドルーム校正 |
VUメーターは0 dBVU=1.23 V RMS=1 kHzにおける+4 dBuとしてモデリングされています。700 Hzのトーンを-18 dBFSで入れると入力と出力のレベルが一致します。0 dBFS近くまでピークが来る大きいデジタル信号では、Record Levelを相応に下げないと「テープらしい音」にならず、針が右側(+3 dBVU以上)に張り付く、と注意されています。
用途別・設定の始点
| 目的・素材 | 触る場所 | 根拠 |
|---|---|---|
| まず入力を合わせる | 最大音量部でRecord Levelを調整し、メーターを-5〜0 dBVUに | クイックスタートの手順 |
| アコギ・ボーカル・ハイハット・ストリングス | Speed: 15 ips | 高域成分が重要な素材で高域を保つ |
| ベース・キック・チューバ | Speed: 7.5 ips | 低域情報が多い素材で低域を保つ |
| 歪みの量を増減したい | Flux | 歪み量の増減はFluxで行うと明記 |
| 真空管の色だけ足したい | Monitor: Input/Recordを上げPlaybackを下げる | テープ段を通さず入出力真空管段の飽和のみ得る |
| 「くたびれた」質感がほしい | Wow & Flutterを上げる | 上げるほどラフで摩耗した音になる |
| もっとも効きやすい適用先 | ドラム/パーカッション・ストリングス・ギター・ボーカルのサブミックス、ミックス全体、マスタリング | 個別トラックでも使えるが、サブミックス以降で本領を発揮すると記載 |
負荷についても率直に書かれています。この水準の詳細さと柔軟性を持つモデルを作りながらリソース消費を低く保つことはできず、相応のシステム資源を要する、と。ただしマニュアルは、その直後に「個別トラックで使いたいならどうぞ、この芸術に『ルール』はありません」と明示的に許容したうえで、ドラム/パーカッション・ストリングス・ギター・ボーカルのサブミックス、そしてミックス全体やマスタリングで本領を発揮するかもしれない、と続けています(p.27)。使いどころを絞れという指示ではなく、負荷の事実と、効きやすい適用先の提案が並んでいるだけです。



重い、という自己申告は額面どおり受け取っていい。ただしマニュアル自身は「個別トラックで使いたいならどうぞ」と書いています。禁止ではなく、資源の話です。
似た製品との使い分け
もっとも自然な組み合わせは、同じチェーンから生まれた2製品です。ホワイトペーパーは結びで、Kramer HLS ChannelとKramer PIE Compressorと併用することでOlympic Studiosの録音チェーンが完成する、と明言しています。単体で「テープ感を足す道具」としても使えますが、設計の意図としてはチェーンの最終段です。
同じWavesのテープ系にはJ37 Tapeもあります。こちらはAbbey Road Studiosの1インチ4トラック機がモデルで、EMIが自社スタジオ用に開発した3種類のテープフォーミュラを選べます。素材ごとにキャラクターを作り分けたいならJ37、特定の1台の標準セットアップを軸に据えたいならKramer Master Tape、という分かれ方です。国も年代も機構も違う機械なので、優劣ではなく「どの現場の音か」で選ぶ対象になります。
コンプレッサーの代わりとして考える場合は注意が要ります。テープの飽和は圧縮の一形態ではありますが、アタックやリリースで時間軸の挙動を作る道具ではありません。時間軸を設計したいならコンプレッサーの基礎の領域で、その系列にあるのがKramer PIE Compressorです。
よくある質問
FluxとRecord Levelはどう違いますか
Fluxはテープの飽和だけに作用し、Record LevelとPlayback Levelは真空管入出力段の飽和に作用します。両者は独立しているとホワイトペーパーに明記されています。またFluxを上げても出力はユニティゲインのまま一定に保たれます。
Biasの初期値がOverなのはなぜですか
1960年代に多くの技術者が、バイアスをわずかに上げると高域特性が改善しノイズも下がることを発見し、それが現場の標準になったためです。Wavesは3M Scotch 207において最良の高域特性・最小の歪み・最良のS/Nが得られる点として、15 kHzで-3 dBのオーバーバイアスをモデリングしています。
Speedを変えるとディレイタイムも変わりますか
変わりません。ディレイはDelay Timeコントロールだけに支配され、トランスポートの走行速度の影響を受けないと明記されています。7.5 ips相当の266 ms、15 ips相当の133 msという目盛りが用意されているので、必要なら手動で合わせます。
Wow & Flutterの初期値50は何ですか
実機からモデリングされた値です。0〜100の中間という意味ではなく、リファレンス機で測定されたゆらぎ量がそこに置かれています。上げるほどラフで摩耗した音になり、下げれば理想化された方向へ向かう。ノイズと同様、これらの有無はアナログテープ録音の主たる利点とは関係がないので好みで決めてよい、というのがホワイトペーパーの立場です。



「測定上は劣化させている」と自分で書いたうえで、それでも好まれる理由まで説明している。ここまで正直な資料は珍しい。
まとめ
- Fluxはテープ飽和、Record/Playback Levelは真空管飽和。2つが独立しているのがこの製品の骨格で、Fluxを動かしても出力はユニティのまま保たれる。
- 初期値はメーカー推奨ではなく当時の現場の運用に合わせてある。BiasのOver、Wow & Flutterの50はいずれも実機・実運用から来た値。
- 何も触らない状態が「3M Scotch 207/15 ips/NAB/-3 dBオーバーバイアス/185 nWb/m」の再現。ここを基準点に置いてから動かすと、変化の意味が読める。





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