この記事では、Waves Trans-X がなぜ「しきい値を決めなくても効く」のかを、公式ユーザーガイドの記載だけで分解します。レベルではなく立ち上がりの速さで検出する仕組み、Range の初期値がゼロではないという事実、レンジを上げたのにトラック全体が小さくなる仕組み、そして Wide と Multi の分かれ目までを扱います。
先に、この製品でいちばん重要な一行を。公式ガイドは「通常のダイナミクス処理はレベルが一定の基準を超えたことを検出するが、Trans-X はゲインが一定の速度基準より速く立ち上がったことを検出する」と書いています。だから信号が小さいときも大きいときも、あるいは徐々にフェードアウトしていく最中でも、アタックは検出され続けます。ガイドのコントロール解説にしきい値を設定する項目が並んでいないのは省略ではなく、見ている対象がそもそも違うからです。
以下に出す範囲と初期値は、すべて公式ユーザーガイドの記載です(Trans-X 本体、および比較で触れる Smack Attack とも)。プリセット数と価格は公式製品ページ、レイテンシーのサンプル数は公式サポートの「Plugin Latency」表の記載を使っています。編集部の実測値は1つもありません。なお本文には語句の出現件数をいくつか添えていますが、これはガイドが数えた数ではなく、本稿が該当 PDF を大文字小文字を無視して全文検索して数えたものです。
参照した版についても断っておきます。製品に同梱されているユーザーガイドは全8ページ、PDF の作成日は2011年9月15日です。Waves がいま配布している現行版(2026年9月3日取得)も同じ8ページ・同じ作成日で、パラメーターの範囲・初期値は全項目が一致しました。本文が違うのは2箇所だけで、プリセットの呼び方が「factory presets」から「presets」に変わったことと、プリセットの読み込み手順が旧版の「Load メニュー」から現行の「Presets メニュー」および WaveSystem ツールバーの説明に差し替わったことです。本記事は現行版を基準に書いています。永続ライセンス版の定価は17,380円です(2026年9月時点)。現在の価格は公式ページで確認してください。
カホトランジェント処理は、つまみの数が少ないぶん「どちらへ回すと何が起きるか」を取り違えると一発で破綻します。範囲と初期値を先に押さえてから触るのが最短です。
この記事でわかること
- しきい値ではなく「ゲインの立ち上がり速度」で検出する設計と、その実務上の帰結
- Range の初期値が 0 ではなく +6dB であること、そして +18 と −24 という非対称
- Range を上げるとトラック全体のレベルが下がる理由と、Trim ボタンの役割
- Wide と Multi の選び分け、および Multi が「トランジェントの EQ」になる使い方
Trans-Xとは|何を解決する製品か
表記について先に断っておきます。公式製品ページの見出しと、ユーザーガイドの本文はいずれも「Trans-X」とハイフン入りで書いています。一方、同じ PDF のメタデータ上のタイトルは「TransX User Manual」で、Waves 内部のフォルダ名も TransX です。どちらも公式の表記なので、本記事は本文にあわせて Trans-X と書きます。
この製品が解決するのは、周波数特性もダイナミックレンジも問題ないのに、なぜかミックスの中で抜けてこない、あるいは逆にアタックが出しゃばりすぎる、という種類の問題です。ガイドは冒頭でその状況を「周波数特性とダイナミックレンジは満足なのに、音が透過的にミックスを抜けてこないことがよくある」と書き、具体例を並べています。
- ソロで聴くと良く鳴っているのに、他の楽器が入ると存在感を失うバスドラム
- 完全にドライにしても近くで鳴っているように聞こえないスネア、または硬すぎて緩めたいスネア
- 古く鈍い録音由来のように聞こえるドラムループ
- 焦点が定まらないパーカッション
- 遠くから録ってしまい、もっと近くで鳴らしたいアコースティックギター(およびその逆)
- リズムのパターンで曲をもっと引っ張りたいベースギター、あるいはシンセ
- アタックが攻撃的すぎるピアノ、およびマリンバ・シロフォン・ヴィブラフォン等の音程を持つ打楽器
ガイドはこれらすべてに対応するプリセットが用意されていると書いています。ベースを「ヴァーチャル・フレットレス・ベース」に仕立てるプリセットまであると明記されているのが、この製品の性格をよく表しています。公式製品ページの記載では、収録プリセット数は25です。
逆に、適用範囲もはっきり書かれています。ガイドは「マスタリング用にも人声の処理用にも設計されていない。ただし、意図された用途の範囲を超えた創造的な使い方は見つかるかもしれない」と述べています。一方で公式製品ページは「個々のトラックにもフルミックスにも活力を戻す」と書いており、ミックスバスまでは想定に入っている書き方です。ミックスバスとマスタリング工程は別の段階なので真正面から矛盾しているとは限りませんが、少なくともガイド側の立場は限定的である、と読んでおくのが安全です。
コンポーネントは Wideband と Multiband の2つ。ガイドの言葉では「2つのフレーバー」です。Wideband は Multiband よりも処理リソースの消費が少なく、プログラム全体のエネルギーからアタックを検出するため、単一の楽器や単一トラックの処理に特に向く、と説明されています。
設計思想:なぜこの効き方をするのか
見ているのは大きさではなく「速さ」
冒頭で引いた一行が、この製品の設計の中心です。通常のダイナミクス処理はレベルが基準を超えたかどうかを見ますが、Trans-X はゲインの立ち上がりが一定の速度基準より速いかどうかを見ます。この違いが実務上どう出るかというと、ガイド自身が説明を続けています。信号のレベルが低いときも高いときも、あるいは徐々にフェードアウトしていく最中であっても、アタックは検出され再整形される、と。
コンプレッサーで同じことをやろうとすると、素材のレベルが動くたびにしきい値を追いかけ直すことになります。Trans-X ではその追いかけが要りません。ちなみに threshold という語は、本稿が全8ページを大文字小文字を無視して全文検索したかぎり1件しか出てきません。しかもその1件は p.3 で「通常のダイナミクス圧縮は、エネルギーが一定のしきい値を超えたときにゲインを下げることしかできない」という、他方式の説明の中にあります。Trans-X 自身のコントロールとしては登場しません。
Duration と Sens は「どれを拾うか」の2軸
検出側を決めるのは Duration と Sensitivity です。ガイドの整理では、Duration が「検出したいアタックの継続時間」、Sensitivity が「アタックの振幅に対する感度」を担当します。
Duration の向きが、いちばん取り違えられやすいところです。ガイド p.2 の定義は「Duration より短いアタックだけが検出される」。つまり Duration は処理の長さではなく、検出の網の目の粗さです。したがって Duration を長くすると、条件を満たすアタックが増えます。ガイド p.6 も「一般的な規則として、Duration の値が長いほど、より多くのアタックが検出され処理される」と書いており、2箇所の記述は同じ方向を指しています。値の決め方についても指針があり、コンプレッサーのアタックタイムに設定するであろう値と同じ値から始めるのがよい、とされています。
Sensitivity は振幅側の門番です。高い設定では小さなアタックまで検出され、低い設定では小さなアタックが無視されて振幅の大きいアタックだけが検出されます。ここにも失敗の記述があります。感度が高すぎると連続的なゲイン調整が始まる、というものです。理由は、波形が上に振れるたびにトリガーしてしまい、リリースに到達する前に次のトリガーが来るからだと説明されています。トランジェント処理のつもりが、実質的にレベルを常時上下させる処理に化ける、ということです。
Range の初期値は 0 ではない
Range の定義は「可能な最大ゲイン調整量」です。+18dB に設定すれば最大18dB まで持ち上げ、レンジの上限を超えることはない、とガイドは書いています。範囲は +18 から −24dB、初期値は +6dB です。
ここは読み飛ばされがちですが、初期値が 0 ではありません。挿入した時点で、検出されたトランジェントに対して最大 6dB の持ち上げが有効になっている状態から始まります。Sens の初期値も 0、つまり ±10 の目盛りのちょうど中央なので、素材によっては挿しただけで音が変わります。「まだ何も触っていないのに音が変わった」と感じたら、それは仕様どおりの挙動です。
もうひとつ、範囲が非対称であることも押さえておきます。持ち上げは +18dB までですが、削りは −24dB まで取れます。ガイドはこの非対称の理由を書いていないので理由には踏み込みませんが、アタックを抑える方向に 6dB 分だけ余計に振れる、という事実は設定の設計に効きます。なお Range はグラフ上からも操作でき、Wideband ではメーター脇の三角、Multiband では各バンドのクロスヘア型マーカーがそのハンドルになります。
Range を上げると、トラック全体は小さくなる
操作の向きとして、この製品でいちばん直感に反するのがここです。ガイド p.3 は「レンジを広げたとき、Trans-X は自動的にレベルパディングを行う」と明記しています。理由も書かれていて、典型的な用途はすでにレベルが高い信号のアタックをさらに持ち上げることなので、パディングが無ければ狙ったパンチではなくクリップと歪みが出るのは確実だから、というものです。
この設計の帰結として、ガイド p.5 は注意書きを置いています。「レンジをブーストするときは、トラック全体のレベルが下がることを見込んでおくことが重要である」。つまり Range を上げる操作は、トランジェントを持ち上げると同時に、トラック全体を押し下げます。ここを知らずに Range を上げると、音が痩せたと勘違いして Range を戻すことになります。



上げたのに小さくなる、は仕様です。パンチを足したいのに全体が引っ込む、という体験をした人は、たぶんここで引き返しています。戻すためのボタンが別に用意されている、という前提で組まれた設計です。
戻す手段が Trim です。ガイド p.7 の説明では、Trim はクリップインジケーターの間に置かれ、ピークエネルギーとフルデジタルスケール(0.0dBfs)との差を数値で表示します。クリックすると、その表示値のぶんだけ出力ゲインが上がります。挙げられている例は具体的で、Trim ボックスがフルスケールより 3.2dB 下と表示していれば、クリックによって現在の出力ゲインが 3.2dB 上がる、というものです。
細かい話ですが、このコントロールの呼び名はガイドの中で揺れています。p.3 では「trim button」、p.5 では「AutoTrim button」、p.7 の見出しでは「TRIM」で本文は「Trim control」。この3箇所がそれぞれ別の呼び方をしていますが、機能の説明はどれも同じもの、すなわち出力ピークをフルスケールまで持ち上げるボタンを指しています。ガイドの手順の中で AutoTrim という語を見かけたら、コントロール解説の TRIM と同じものだと読み替えて差し支えありません。
Multi は「4バンドのTrans-X」ではなく、トランジェントのEQ
Multiband コンポーネントは、3つの位相補償クロスオーバーを使ってプログラムを4バンドに分割します。ガイドはこのクロスオーバーの設計について「Waves C4 のものと同一である」と書いています。バンドごとに指定できるとガイドが明記しているのは Range と Sensitivity、そしてバンドごとの ON/OFF です。
Multi の本領は、ドラムグループやドラムループの処理だけではありません。ガイドが強い書き方をしているのは、単一楽器に対して Multi を使う場合です。そうすると「トランジェントのスペクトル的な性質を設計できる。つまりアタックだけでなく、トランジェントの EQ を整形していることになる」。そのうえで、この処理はより慎重な調整を要するが、Trans-X の開発中に出会ったどんな手法よりも優れた結果を出しうる、と続けています。
具体例も載っています。あるバスドラムがミックスを抜けるためには、トランジェントの高い周波数側に助けが要る、特に小型スピーカーで、という状況。この場合は Multiband をバスドラムのトラックに挿し、中域の2バンドがどちらもバスドラムのアタックに反応するように設定したうえで、トランジェントのアタックを形づくる上側のバンドに、より高い Sensitivity と Range を与える、という手順です。常時高域を持ち上げるのではなく、検出されたアタックの区間でだけゲインが動き、Release の時間をかけて 0dB へ戻る。そこが EQ での処理と違うところです。
ドラムキット全体に使う場合の見え方も書かれています。低域のバンドではバスドラムのキックで、中域と中高域ではスネアで、高域のバンドではハイハットで、ダイナミックなゲインラインが跳ねます。バスドラムとスネアのパンチは改善しつつハイハットのアタックは抑えたい、という要求に対しては、クロスオーバーを設定して下3つのバンドに正の(ブーストする)レンジを、ハイハットのバンドに負の(カットする)レンジを与える、という解が示されています。
バンドごとの ON/OFF について、ひとつ注意があります。この ON/OFF はそのバンドの音を遮断するのではなく、そのバンドのトランジェント処理だけを止めます。ある1バンドの効果だけを A/B 比較したいときに、他のバンドをオフにして聴く、という使い方をするためのものです。オフにしたバンドが無音になるわけではありません。
もう1点、Multi では数値の読み方が変わる箇所があります。Release について、ガイドは「リリースは完全には線形ではなく、マルチバンドではバンドごとにスケールが異なる」と書いています。表示上の数値が同じでも、実際の戻り方はバンドによって揃わない、ということです。Wide で掴んだ Release の感覚を、そのまま Multi の全バンドに当てはめられるとは限りません。
コンプレッサーの前でも後でもよい理由
Trans-X はコンプレッサー・エキスパンダー・リミッターと共存でき、信号経路のどちらの側に置いてもよい、とガイドは書いています。そのうえで、直感に反する話を先回りして潰しています。Trans-X の後段に高速アタックのコンプレッサーを置けば、Trans-X の仕事が台無しになるように思えるが、実際には必ずしもそうならない。最短のアタック設定でも、パンチの多くが圧縮後まで生き残ることが多い、と。
理由が明快です。通常のダイナミクス圧縮は、楽器のアタックタイムそのものを変えることができない。エネルギーが一定のしきい値を超えたときにゲインを下げることしかできない。そしてパンチとインパクトを定義しているのは、そのアタックタイムのほうだから、というのがガイドの説明です。ガイドはさらに、トランジェント処理は圧縮・エキスパンド・リミッティング等の後段でもかなり有効になりうる、と付け加えています。
全パラメーター
公式ユーザーガイド第3章(p.6〜7)に見出しとして並んでいるコントロールです。範囲・初期値の表記はガイドのままにしてあります。
| コントロール | 範囲 | 初期値 | 役割 |
|---|---|---|---|
| Range | +18 〜 −24dB | +6dB | 可能な最大ゲイン調整量。正で持ち上げ、負で削る |
| Sens(=Sensitivity) | +10 〜 −10 | 0dB | どの振幅のアタックまで検出するか。高いほど小さなアタックも拾う |
| Duration | 0.01ms 〜 500ms | 4.10ms | これより短いアタックだけを検出する。長くするほど検出数が増える |
| Release | 0.50 〜 500ms | 10.02ms | 検出したトランジェントが終わってからゲイン調整が 0dB に戻るまでの時間 |
| Output | +18dB 〜 −18dB | 0dB | 出力全体のゲイン。出力メーターの間にあるフェーダー |
| Trim | クリックで実行 | — | ピークとフルスケールの差を表示し、クリックでその値だけ出力ゲインを上げる |
| バンドごとの ON/OFF(Multiのみ) | オン / オフ | オン | そのバンドのトランジェント処理だけを止める(音は遮断しない) |
表記についてひとつ注記します。Sens の範囲はガイドでは単位を伴わない「+10 to −10」ですが、初期値だけが「0dB」と dB 付きで書かれています。本記事はガイドの表記をそのまま載せていますが、範囲と初期値で単位の扱いが揃っていない点は、そのまま受け取らないほうがよい箇所です。
表示系も第3章にまとまっています。Wide はゲイン調整メーターを持ち、レンジが紫の網掛けで示され、レンジ内での実際のゲイン調整量が黄色い線で表されます。Multi は同様の表示に加えて、全帯域にわたるダイナミックなゲインラインを持ち、どのバンドでどれだけゲインが調整されているかが見えます。出力メーターはピーク値の上位30dB を表示し、各メーターの下のピークカウンターは、メーターをクリックしてリセットするまでピーク値を保持します。
用途別・設定の始点
ガイドが第2章で示している手順には、はっきりした特徴があります。推奨されているのは「まず極端な Range 設定で大まかで概念的な絵を作り、そのうえで極端な設定を穏やかにして狙いの効果まで持っていく」という進め方です。効果量を最初に決めるのではなく、最後に決める順番になっています。ガイドの記述を手順に並べ直すと次のとおりです。
- 処理すべき要素を特定する。単一楽器のトラックで、EQ は良いがトランジェントの拡張または抑制だけが必要なら Wideband でよい。混ざったパーカッション、フルドラムキット、広帯域のポリフォニックなトラックは、通常 Multiband が要る
- Trans-X を挿し、プラグイン上部ツールバーの Presets メニューから該当するプリセットを選ぶ
- 処理するトラックをソロにして単体で聴く
- Range を最大値まで振り、Duration と Sensitivity を追い込んで狙いの効果を作る
- 音がざらついて聞こえるなら、Duration と Release をより長くしてみる
- ソロを解除し、Duration と Sensitivity の設定を見直す
- Range を上げたぶんトラック全体のレベルが下がっているので、Trim(AutoTrim)でクリップ直下まで戻し、そのうえで Range を必要な量まで穏やかにする
4番目の「まず最大まで振る」について、ガイドは理由を書いていません。ただ Range の定義が「可能な最大ゲイン調整量」である以上、最大に振れば、いま Duration と Sens が何を拾っているのかが誇張されて聞こえるはずです。拾う対象が合っているかどうかを先に確かめ、量は後から詰める。手順の並びはそう読めます。
素材ごとの入口を整理すると次のようになります。左2列はガイドが挙げている素材と症状、右の列は上の手順1に書かれている Wide/Multi の選択基準と、Range の符号(持ち上げるか削るか)を当てはめたものです。
| 素材 | ガイドが挙げる症状 | コンポーネントと向き |
|---|---|---|
| バスドラム | ソロでは良く鳴るが、他が入ると存在感を失う | Wide。Range を正側へ |
| スネア | 完全にドライでも近く聞こえない/逆に硬すぎて緩めたい | Wide。近づけたいなら正側、緩めたいなら負側 |
| ドラムループ | 古く鈍い録音のように聞こえる | Multi(混ざった素材のため) |
| パーカッション | 焦点が定まらない | Multi |
| アコースティックギター | 遠くで録れてしまった、またはその逆 | Wide。近づけたいなら正側、遠ざけたいなら負側 |
| ベースギター/シンセ | リズムのパターンで曲をもっと引っ張りたい | Wide。Range を正側へ |
| ピアノ・マリンバ等 | アタックが攻撃的すぎる | Range を負側へ |
| ドラムキット全体 | キックとスネアは出したいがハイハットは抑えたい | Multi。下3バンドを正、ハイハットのバンドを負 |
| バスドラム(小型スピーカー対策) | トランジェントの高域側に助けが要る | Multi。中域2バンドをアタックに反応させ、上側のバンドに高い Sens と Range |



ネット上の解説には、この製品に Sustain のつまみがある前提で書かれたものが混ざっています。本稿が参照した公式ガイドのコントロール解説には、そのつまみは並んでいません。見当たらないつまみを探して時間を溶かすより、Range の符号で「持ち上げるか削るか」を決めるほうが早いです。
似た製品との使い分け
同じ Waves のトランジェントシェイパーに Smack Attack があります。両者はしばしば同じ棚に置かれますが、公式ガイドを並べて読むと守備範囲がはっきり違います。以下は Trans-X の公式ガイド(現行版・全8ページ・作成日2011年9月15日)と、Smack Attack の公式ガイド(全13ページ・作成日2017年4月19日)の記載を突き合わせたものです。ただしレイテンシーの行は、ガイドだけでは Trans-X 側のサンプル数が分からないため、Waves 公式サポートの「Plugin Latency」表(2026年9月5日取得。単位はサンプル)の数値を使い、欄内に出典を明記しました。
| 項目 | Trans-X(公式ガイド/レイテンシーのみ公式サポート表) | Smack Attack(公式ガイド/レイテンシーのみ公式サポート表) |
|---|---|---|
| コンポーネント | Wideband / Multiband | Mono / Stereo |
| 帯域分割 | Multi は4バンド(位相補償クロスオーバー3つ・設計は C4 と同一) | band・crossover・multiband の3語がガイド全13ページに0件 |
| サステイン側の処理 | 本稿が参照した版のコントロール解説には出てこない | Sustain Level(−100〜+100)/Sustain Sensitivity(0〜100)/Sustain Shape(3種)/Sustain Duration(30ms〜1000ms) |
| アタックの形 | 形状を選ぶ項目は本稿が参照した版のコントロール解説には出てこない。出方は Duration と Release で決まる | Needle / Nail / Blunt の3形状+Attack Duration(0.5ms〜500ms) |
| 原音とのミックス | 本稿が参照した版のコントロール解説には出てこない | Mix(0〜100%) |
| 出力 | +18dB 〜 −18dB | ±24dB |
| 過大出力の扱い | 自動レベルパディング+Trim(クリックで持ち上げ) | Guard:Off / Clip / Limit(Clip と Limit は −0.1dBFS) |
| レイテンシー | 44.1/48kHz=64サンプル、88.2/96kHz=128、176.4/192kHz=256(公式サポート「Plugin Latency」表)。ガイド側は latency・lookahead・look-ahead・delay の4語が全8ページに0件で、サンプル数を書いていない | 6レートすべてで0サンプル(同表)。ガイド p.3 も「zero latency」と明記 |
| 適用範囲の記述 | 「マスタリング用でも人声処理用でもない」 | 「マスターバスに挿して全体のトランジェントを制御することもできる」 |
レイテンシーの行だけ補足します。Trans-X はゼロレイテンシーの製品ではありません。サンプル数はレートが倍になるたびに倍になるので、時間に直すと 44.1/88.2/176.4kHz で約1.45ms、48/96/192kHz で約1.33ms と、どのレートでもほぼ一定です(この ms 換算は表の値を本稿が割り算したもので、公式が ms で書いているわけではありません)。遅延補償の効くDAWでミックスするぶんには意識せずに済む量ですが、補償のかからない経路で使うときや、モニターしながら演奏に重ねるときは、全レートで0サンプルの Smack Attack との差が出ます。なお同じ表には Trans-X の TDM 48kHz=67サンプルという値も残っていますが、TDM は Waves v9.6 以降サポートされていません。
共通しているのは検出の考え方です。Smack Attack のガイドも「振幅の速い変化に基づいてトランジェントを識別する。検出は絶対的なピークレベルに基づかないので、レベルの低い信号の中でも高い信号の中でもトランジェントを識別できる」と書いています。Trans-X の「ゲインが一定の速度基準より速く立ち上がったことを検出する」と、着眼点は同じです。両者の違いは検出ではなく、検出したあと何を触らせてくれるかにあります。
選び分けは、こう整理できます。サステイン側(余韻の量)を増減させたいなら Smack Attack です。Trans-X 側のコントロール解説に並んでいるのは、検出したアタックに対するゲイン調整(Range)と、それが 0dB へ戻るまでの時間(Release)で、持続部のレベルを直接増減させる項目は出てきません。逆に、帯域ごとに違う向きの処理をしたい、あるいはトランジェントの音色そのものを設計したいなら、Trans-X の Multi のほうに分があります。原音とのパラレルブレンドをプラグイン内で完結させたい場合も、Mix を持つ Smack Attack 側の担当です。
クロスオーバーの設計が C4 Multiband Compressor と同一である、というガイドの記載は、Multi の使い勝手を想像するうえで役に立ちます。帯域を分けて別々に扱うという操作感が近いためです。ただし C4 が触るのはレベルであり、Trans-X Multi が触るのはアタックの立ち上がりです。分割の仕方が同じで、分割した先でやることが違う、という関係になります。
コンプレッサーとの関係については、上で見たとおり競合しません。当サイトで個別に解説しているコンプレッサーとしては C1 Compressor、Renaissance Compressor、H-Comp、API 2500 があります。アタックの立ち上がり方そのものを変えたいのか、レベルの上下を揃えたいのか。目的が前者なら Trans-X、後者ならこちら側です。
よくある質問
Sustain(サステイン)のつまみが見当たりません
本稿が参照した公式ガイドのコントロール解説(第3章・p.6〜7)に見出しとして並んでいるのは、RANGE・SENS・DURATION・RELEASE・OUTPUT・TRIM、および Multiband のみのバンドごとの ON/OFF です。sustain という語を大文字小文字を無視して全8ページを検索すると3件ヒットしますが、いずれも sustained という形で、p.2・p.3・p.5 に1件ずつ、「持続的で保持された成分」「音の持続部分」という信号の説明として出てきます。コントロール名としては出てきません。サステインの増減を直接扱いたい場合は、Sustain Level を持つ Smack Attack のほうが目的に合います。
Range を上げたのに、音が小さくなりました
仕様です。レンジを広げると自動的にレベルパディングが入る、とガイド p.3 が明記しています。すでにレベルの高い信号のアタックを持ち上げるのが典型的な用途なので、パディングが無ければクリップと歪みになるから、というのが理由です。ガイド p.5 自身も「レンジをブーストするときは、トラック全体のレベルが下がることを見込んでおくこと」と注意しています。下がったぶんは Trim(ガイド p.5 の表記では AutoTrim)で、クリップ直下まで戻します。
ドライ/ウェットのミックスはできますか
本稿が参照した版のコントロール解説には、それに当たる項目が出てきません。本稿が全8ページを検索したかぎり、mix という語は5件ありますが、内訳は「ミックスの中で抜けてこない」「ミキシングエンジニアの」「混ざったパーカッション」といった一般的な文脈で、いずれもコントロール名ではありませんでした。dry は1件のみで、スネアが「完全にドライでも」という記述です。プラグイン内でのブレンドが必要なら、DAW 側でパラレルの経路を組むか、Mix を持つ製品を選ぶことになります。
Wide と Multi、どちらを選べばいいですか
ガイドの基準がそのまま使えます。単一楽器のトラックで EQ は良好、トランジェントの拡張または抑制だけが必要なら Wideband で十分うまくいく。混ざったパーカッション、フルドラムキット、そして広帯域のポリフォニックなトラックは、通常 Multiband が要る、というものです。加えて Wideband のほうが処理リソースの消費が少ないとも書かれているので、迷ったら Wideband から始めて、帯域ごとに向きを変えたくなった時点で Multiband に持ち替えるのが順当です。
まとめ
- 検出しているのはレベルではなくゲインの立ち上がり速度。ガイドのコントロール解説にしきい値を設定する項目が並ばないのはそのためで、素材のレベルが動いてもアタックを拾い続ける。
- Range の初期値は 0 ではなく +6dB、範囲は +18 と −24 で非対称。Duration は「これより短いアタックだけを検出する」網の目なので、長くするほど処理される数が増える。
- Range を上げるとトラック全体は自動パディングで下がる。Trim で戻してから効果量を決める、という順番が正しい。



触るところが少ない製品ほど、仕様書を読んだかどうかが結果に出ます。Range を最大まで振ってから戻す、という手順は乱暴に見えますが、公式が推奨している順番です。
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