この記事では、Waves S1 Stereo Imager が「何を作らない設計なのか」を、公式マニュアル全24ページと Waves 公式製品ページの記載だけで分解します。Shuffling の 1.6/650Hz という推奨値がどこから出てきた数字なのか、モノ互換性を耳ではなく角度で判定する方法、そして初期状態でも出力がクリップする理由と、公式が指定する L1 との具体的なゲイン配分までを扱います。
基本的な操作手順とコンポーネントの概要は、当サイトの入門記事「Waves S1 Stereo Imager」で扱っています。まず使い方から知りたい方はそちらを先にお読みください。本記事はその先、つまみが「なぜその配置・その順番で並んでいるのか」を読む側です。
以下に出てくる範囲・推奨値・チェーン構成はすべて公式マニュアルの記載で、編集部の実測値でも試聴の感想でもありません。マニュアルに記載の無い価格とレイテンシーだけは公式ページ由来で、本文にそのつど出典を書きます。
ひとつ前置きがあります。S1 の公式ガイドには2つの版があり、どちらも24ページ・PDF の作成日も同じです。プラグインに同梱されている2011年版と、公式製品ページが現在配っている版(2022年6月更新)で、本文の一部が差し替わっています。本記事は両方を突き合わせたうえで書いており、版によって記述が変わる箇所——コンポーネントの構成と、第3章のグラフ操作の説明——は、そのつどどちらの版かを明記します。範囲や推奨値の数値そのものは両版で一致しました。
カホステレオ系プラグインの評価がぶれるのは、何を目指した道具なのかを読まずに触るからです。S1 は「やらないこと」を先に宣言している珍しいプラグインなので、そこから入ります。
この記事でわかること
- Shuffling が存在する理由と、1.6/650Hz・2.0〜2.5/650Hz という2つの推奨値の使い分け
- Width・Asymmetry・Rotation が「何を動かさないか」で役割分担されている構造
- モノ互換性をベクター表示の角度(45度・60度)で判定する方法
- 初期設定でもクリップする理由と、公式が示す S1 → L1 の具体的な数値
S1 Stereo Imagerとは|何を解決する製品か
公式マニュアルの定義は「複数の古典的なステレオ処理技法を Waves のインターフェースにまとめた、マスタリングとデジタル編集のためのステレオツールキット」です。用途は2方向あって、ステレオ録音やミックスに元からある欠陥を修正することと、既にあるステレオ感を拡張すること。この2つが同じ画面に同居しています。
そして、このプラグインの性格を決めているのは、次の一文です。マニュアルは S1 について「確立された音響工学の原理に基づいており、2本のスピーカーから3次元の音場を作り出すことも、モノラル素材から擬似ステレオのマスターを作ることも意図していない」と明記しています。ステレオ幅系のプラグインでこの種の否定を冒頭に置く例は多くありません。何を作らないかを先に決めたから、モノ互換性が高く副作用が小さい、という因果でマニュアルは書いています。
モノ音源の扱いも同じ思想です。マニュアルは「モノの音は色付けされない。S1 は元の音の基本的な音色を変えず、ステレオ像の広がりを整えて広げるだけだ」としています。無いものを足す道具ではなく、既にある左右差を扱う道具として設計されている、ということです。
価格はマニュアルには書かれていません。公式日本語ページの表示では定価22,660円です(2026年9月時点)。本稿が価格を見たのはこの1時点だけなので、実売の幅は書きません。現在の価格は公式ページで確認してください。
コンポーネントは現行3種類。旧版は4種類だった
マニュアルは「印刷時点のもので、今後追加される可能性がある」と断ったうえでコンポーネントを列挙しています。この但し書きは版が変わっても残っていて、実際に中身が変わりました。2011年版のガイドは4つ、公式が現在配っている版(2022年更新)は3つです。いずれもステレオ出力専用で、モノ入力からモノ出力への処理には使えません。
- S1 Shuffler — 全コントロールを備えた完全版。Width・Rotation・Asymmetry・Shuffling に加え、極性やゲインなどのチャンネル系も含む
- S1 Shuffler (48) — 2011年版のガイドにだけある項目。現行版では削除されています。Shuffler と同一機能で48ビット倍精度、記載は TDM 専用でした。TDM そのものが終了した形式なので、消えたのは自然な流れです
- S1 Imager — Shuffling と Bass Trim を省いた版。Width・Rotation・Asymmetry だけでよい場面向けで、処理負荷を抑えられる
- S1 MS — LR 入力を MS 出力に変換する(またはその逆の)マトリクスのみ。コントロールもメーターも持たない
つまり現行版の顔ぶれは S1 Shuffler・S1 Imager・S1 MS の3つです。同じ24ページ・同じ作成日のPDFなのに中身が差し替わっているため、手元のガイドがどちらの版かはページ数では判別できません。第3章のグラフ操作の記述(後述)を見るのが早いです。
S1 MS には数値の注意書きが付いています。入力がクリップしなければ出力もクリップしない設計にするため、マトリクス処理でゲインが 3dB 下がる。したがってMS モジュールを2つ直列に挟むと、チェーン全体で公称 6dB の低下になります(EQ がフラットでユニティゲインの場合)。M 側や S 側だけを EQ するチェーンを組むときに、この 6dB を知らないと後段で辻褄が合わなくなります。
設計思想:なぜこの効き方をするのか
約700Hzという境目が、Shufflingの存在理由
Shuffling は「低域のステレオ幅を増やすコントロール」ですが、なぜそんな処理が要るのかをマニュアルは第7章で説明しています。2本のスピーカーによるステレオは、その間に幻の音像(ファントムイメージ)を作る錯覚です。この錯覚は完璧ではなく、既知の欠点が1つある。中間の位置にパンされた音は、中高域よりも低域で見かけのステージ幅が狭くなる。
マニュアルはその原因を、耳と脳が音の方向を判断する方法が約700Hz の上と下で異なることと結び付けられている、と書いています。つまり Shuffling は音を派手にするためのエフェクトではなく、聴覚側の非対称を補正して、低域と高域のファントム像の見かけの幅を揃えるための処理です。これが「増やす方向にしか動かないコントロール」である理由でもあります。
数値の推奨も、この目的に沿って2段階で書かれています。
- Shuffling 1.6 前後/周波数 650Hz 前後 — 低域と高域の見かけの幅が揃う設定。マニュアルは「最も鋭いステレオ定位のための推奨設定」としています
- Shuffling 2.0〜2.5/周波数 650Hz 前後 — 低域を高域より広くする設定。定位の精度は落ちるが「広がり」の錯覚が出て、スピーカーの外側から音が来るように感じられる。マニュアルは「多くの素材で最良の広がりのための推奨設定」としています
- コントロール全体の範囲は 1(Shuffling なし)〜3(低域幅の増加が最大)。主観的に最良の値は通常 1.6〜2.5 に収まる、とされています
「定位の鋭さ」と「広がり」がトレードオフとして数値で分けて書かれている点が重要です。どちらが正解ということではなく、狭く聞こえる素材を救うなら後者、像を締めたいなら前者、という判断の分岐がマニュアル自身の中にあります。
副作用についてもマニュアルは範囲を限定しています。この Shuffler は完全に位相補償されており、ステレオチャンネル間に不要な位相誤差を持ち込まない。低域の音色変化も最小になるよう設計されている。そして中央定位やモノの音像には効かず、中央から離れた音にのみ効く。モノ互換性への有意な影響もない、とされています。広げる処理でありながらモノ互換性の話に踏み込めるのは、この限定があるからです。



低域が狭く聞こえるのは録り方が悪いからだ、と決めつける前に。人間の聴覚の作りがそうなっている、というのが公式の説明です。原因が耳の側にあるなら、対処は素材ではなく再生側の設計に置くのが筋です。
相方の Frequency は、Shuffling の効果が増える境目の周波数で、350Hz から 1400Hz の範囲で調整できます。通常のステレオモニタリングでは 600〜700Hz が最良ですが、マニュアルはそこから外す条件を2つ挙げています。高めに振るのは、マルチメディア機器・携帯機器・テレビの一体型再生機のように左右のスピーカーが同じ筐体に入っている場合。低めに振るのは、20〜30センチ程度離して立てたステレオマイク由来の素材を扱う場合。素材の由来と最終的な再生環境の両方を見て決めるつまみです。
4つのつまみは「何を動かさないか」で分かれている
S1 の主要コントロールを理解する近道は、効果ではなく影響しない対象で並べることです。マニュアルの記述はここが徹底しています。
| コントロール | 動かすもの | 動かさないもの(公式記載) |
|---|---|---|
| Gain | 全体の音量(dB表示) | ステレオ感には影響しない |
| Width | ステージの幅。0でモノ、1で不変、1より大きいとスピーカーの外側まで広がる | —(後述のとおりレベルバランスには影響する) |
| Asymmetry | 左右の相対レベル | 中央の同相モノ音には一切影響しない。中央の音は中央に留まる |
| Rotation | ステレオ像全体の中心位置 | ステージ内の各部の相対的な音量には影響しない(マニュアルは大文字で NO EFFECT と書いています) |
Asymmetry が従来のバランスコントロールと違うのは、この「中央の音を中央に留めたまま左右の量を変える」点です。片側だけ薄いミックスを、中央のボーカルを動かさずに整えられる。一方 Rotation は「定位だけを動かす真のステレオ用パンコントロール」として設計されていて、ステレオマイク素材を配置するときに使えます。
そして、この2つを一緒にドラッグすると、その合成効果が従来のバランスコントロールになるとマニュアルは書いています。S1 には独立したバランスコントロールが用意されていませんが、それは機能が足りないのではなく、バランス=「左右の量の変化」+「中央を戻す回転」という分解が設計思想として先にあるからです。多くのプラットフォームでは、2つのコントロールの間の空間をドラッグするか、両方を選択してから片方をドラッグすると連動します。
WidthとAsymmetryの決定的な違いは、モノで聴いたとき
Width も実はレベルバランスに効きます。幅を広げると、中央の音に対して非中央の音が相対的に大きくなる。ここまでは幅の副産物ですが、マニュアルは注意書きを添えています。これはステレオでのみ起きる変化で、モノラジオやモノのテレビで聴いている人にとってのバランスは変わらない。対してAsymmetry は、ステレオでもモノでも左右の相対バランスを変えます。
同じ「バランスが変わる」でも、モノに落としたときの挙動が正反対です。放送やSNS再生のようにモノ再生が一定割合を占める前提なら、この違いはそのまま道具選びの基準になります。
効く順番が固定されている
マニュアルは信号経路を明示しています。入力から出力へ、次の順で作用します。
LR/MS 入力の選択 → チャンネル極性(入力側の位相誤差の補正) → チャンネルスワップ(左右反転の補正) → Width → Asymmetry → Rotation → Shuffling/Frequency → Gain
この並びから読めることが3つあります。第一に、補正が先で加工が後。極性とスワップは「入力信号の誤りを直すためのもの」と位置づけられており、幅や定位をいじる前に片付ける設計です。第二に、Asymmetry は Width の後で効くとマニュアル自身が書いており、幅を決めてから左右差を詰めるのが本来の手順になります。第三に、Gain が最後尾。だからクリップ対策は Gain で行えます(この点は後述します)。
もうひとつ、画面の読み方に関わる重要な限定があります。ステレオベクター表示は入力信号については何も表示せず、元の左・中央・右の音の出力位置と、そのレベル変化を dB で示すもの。そしてShuffling の効果はこの表示に現れません。表示に反映されるのは Gain・Width・Asymmetry・Rotation の4つだけで、Shuffling はその後に適用される処理だからです。画面を見ながら追い込めるのは前半の4つまで、と切り分けておく必要があります。
全パラメーター
公式マニュアル記載の範囲です。マニュアルには各コントロールの初期値が数値で書かれていないため、初期値の欄は設けていません。Reset ボタンの説明から、Width・Asymmetry・Rotation・Shuffling については「入力ステレオに影響を与えない状態」が基準点だと分かります。
| コントロール | 範囲(公式記載) | 役割 |
|---|---|---|
| Gain | 範囲の明記なし(dB で表示) | ステレオ感を変えずに全体音量を調整 |
| Width | 0=モノ、1=変化なし、1超=拡大(上限の明記なし) | ステレオステージの幅。公式の出発点は 1.2 前後+少しの Shuffling |
| Asymmetry | 範囲の明記なし | 中央を動かさずに左右の相対レベルを変える |
| Rotation | 範囲の明記なし | レベルバランスを変えずにステレオ像全体を左右へ回す |
| Shuffling | 1(なし)〜 3(最大) | 低域のステレオ幅の増加量。常用域は 1.6〜2.5 |
| Frequency | 350Hz 〜 1400Hz | Shuffling が増加し始める境目の周波数。通常は 600〜700Hz |
| Bass Trim | 範囲の明記なし(0 で低域はほぼ不変) | Shuffler 使用時の低域レベル調整。高めの Shuffling 設定では 1〜2dB のブーストが必要な素材がある |
| LR/MS input | LR / MS | 入力モードの切り替え。MS では左入力が M、右入力が S になる |
| チャンネル極性 | + / −(左右独立) | 入力側の位相誤差の補正 |
| チャンネルスワップ | オン / オフ | 入力側の左右反転の補正 |
| Reset | ボタン | Width・Asymmetry・Rotation・Shuffling を無効の状態へ戻す(Gain・極性・スワップは変えない) |
| メーターモード | L-R / M-S | 表示の切り替えのみ。音声出力には一切影響しない |
Reset の使い方にはヒントが添えられています。Reset の後に Undo を繰り返し押すことで、ゲインやチャンネル極性・スワップの設定を変えずに、処理前と処理後の A/B 比較ができます。
メーターに関する注意が1つあります。ピーク表示とクリップ表示が正しい値を示すのは L/R モードのときだけで、M/S モードのピーク・クリップ表示は当てにしてはいけない、とマニュアルは明記しています。L/R に戻したときは、正確な読みを得るために表示をリセットしてください。
レイテンシーはマニュアルに記載がありませんが、公式製品ページの技術表には数値があります。ネイティブ環境は 44.1/48/88.2/96/176.4/192kHz のすべてで0サンプルで、TDM の 48kHz だけが3サンプルです。同じ表で対応サンプルレートの上限は192kHzとされています。なお TDM は終了した形式ですが、公式表には列が残ったままです。
用途別・設定の始点
いずれもマニュアルに記載のある出発点です。ここから素材に合わせて動かします。
| やりたいこと | 始点 | 根拠 |
|---|---|---|
| 控えめに広げたい | Width 1.2 前後+少しの Shuffling | 「moderate enhancement」の出発点として明記 |
| 定位を最も鋭くしたい | Shuffling 1.6 前後/Frequency 650Hz 前後 | 低域と高域の見かけの幅が揃う設定 |
| 広がりを最優先したい | Shuffling 2.0〜2.5/Frequency 650Hz 前後 | 多くの素材で最良の広がりが得られる設定 |
| 片寄ったミックスを中央へ戻す | Gain と Rotation だけを使う | Rotation は内部のレベルバランスに影響しない |
| レベルバランスだけ直す | Width と Asymmetry だけを使う | 中央定位を動かさずに内部バランスを変えられる |
| バランス調整で幅が狭くなった | Shuffling を増やす | 知覚レベルバランスをあまり変えずに幅を戻せる |
| 複数のステレオ素材をまとめる | 各素材に Imager/Shuffler を挿し Rotation で配置 | パンで寄せると像が狭まる・潰れるのを避けられる |
| 近接スピーカー向けの仕上げ | Frequency を通常より高めに | 左右が同一筐体の再生機を想定した記載 |
| 20〜30cm 間隔のステレオマイク素材 | Frequency を通常より低めに | マイク間隔を考慮した記載 |
| 高レベル素材でクリップを避ける | S1 の Gain を −6.0dB に | 後段 L1 との併用例(後述) |
グラフからの直接操作も用意されています。ここは版によって記述がまるごと入れ替わっている箇所なので、順に見ていきます。
2011年版の第3章(誌面 p.8)は、中央の縦線をドラッグすると、キーを押さない状態では左右で Rotation、上下で Gain が動き、Mac は option、PC は Alt を押しながらのドラッグで Width と Asymmetry に切り替わる、と書いていました。ところが同じ2011年版の第10章のキーコマンド一覧(誌面 p.22)は「option ドラッグで Asymmetry が X 軸、Width が Y 軸」としており、修飾キーを押した側だけ、章どうしで逆の対応になっています。キーなしのドラッグ(Rotation が X 軸、Gain が Y 軸)は両章で一致していました。
現行版(2022年更新)では、第3章の「Graphical control」の節が丸ごと書き換えられました。いまの第3章は、ベクター表示上でのドラッグを「中央の縦線または表示内の任意の場所を上下にドラッグすると Gain と Width が同時に動く」「左右にドラッグしても Gain と Width が同時に動く」「自由に動かせば4つのコントロールが同時に動く」と説明し、option ドラッグの軸割り当てにも、キーなしドラッグの軸割り当てにも触れていません。あわせて「Opt/Alt+クリックで個別のコントロールを初期位置に戻す」「WaveSystem ツールバーからプリセット『S1 Full Reset』を読めば全体を工場出荷時に戻せる」が新設されています。いっぽう第10章のキーコマンド一覧は両版とも同文のままです。
結果として、option ドラッグの軸割り当てが書かれているのは、現行版では第10章の1か所だけになりました。章どうしの食い違いは解消された形ですが、記述が1か所に減ったぶん確かめにくくもあります。実際にどちらの軸かは、画面の数値表示を見ながら1回動かして確かめてください。



公式マニュアルの中で記述が割れている箇所です。こういうときは、どちらかを選んで断定するより、両方を並べて「見て確かめてください」と書くほうが正確です。
モノ互換性を角度で測る
S1 が持つ独自の判定基準がこれです。ラジオやテレビで放送されるステレオ音声は、相当数のリスナーがモノで聴いている。だからモノに落としたときに、色付いたり、消えたり、極端に小さくなったりする音があってはならない——という前提から、マニュアルはベクター表示の線の角度で判定する方法を示しています。
左・中央・右の入力に対応する線が、表示上で垂直に近いほどモノ互換性が高く、水平に近いほどモノミックスでその位置の音が小さくなる。実用上の目安は、3本すべてが垂直から45度以内なら通常良好、60度以内なら許容範囲です。
耳の判断に頼らずに済む基準が画面上にある、というのがこのプラグインの実務的な強みです。ただしマニュアルは、モノ互換性が特に重要ならモノに落としたモニタリングも併用するよう助言しています。
MSメーターは診断器として使える
メーターを M-S モードにすると、M(左右の平均)と S(左右の差)のレベルが見えます。S に対して M が大きいほどモノ成分が多い、という素直な指標ですが、マニュアルはこれを入力素材の位相診断に使う手順として書いています。
素材の位相が正しければ、通常 M のレベルが S より明らかに高くなります。逆にS が常に M より高い場合、可能性は2つ。
- (a) 入力チャンネルが逆相(最も可能性が高い)。バランスケーブルの配線誤り、位相スイッチの設定間違い、ステレオペアのマイクカプセルの誤配線など。片方の極性ボタンだけを「−」にして修正する
- (b) 過剰な幅(稀)。MS や「ブルームライン式8の字」のようなワンポイント収録で音源のステージが非常に広い場合、あるいは以前の工程で過剰な幅調整が行われた場合。このときは中央の音は同相なので、極性をいじってはいけない
この2つを聴き分ける方法も具体的に書かれています。テスト A:S1 で幅を狭める。中央の音がしっかりして自然になれば元の幅が過剰だった。中央の音が非常に小さくなるなら逆相。テスト B:Rotation を左に回す。中央の音も左へ動けば極性は正しい。右へ動いたら極性が誤っている。
なお M と S がほぼ同レベルの場合、2つのチャンネルは大きく無相関で、メーターからは位相の正誤を判断できません。中央定位の音が無く完全に独立した音が入っているだけなら、極性の調整は不要です。
処理後の確認にも同じメーターが使えます。アンビエントな効果を付けるときは、S のレベルが M と同程度か、やや小さい程度になるよう幅や Shuffling を調整するのが有用。S が M より大きくなっているなら、幅・Shuffling・場合によっては Rotation が過剰なので減らすべきだ、というのがマニュアルの基準です。
初期設定でもクリップする理由
これは仕様として明記されている項目です。マニュアルの見出しはそのまま「S1 は高レベルのファイルでは、初期設定でもクリップを引き起こすことがある」。
理由は S1 の核である位相補償にあります。位相補償は「位相の操作」によってステレオ品質を改善する仕組みなので、ユニティゲインの初期設定やリセット状態、つまり Shuffling も幅の変更も行っていない状態でさえ、位相操作の副作用として信号のピークレベルが変わります。したがって、ノーマライズ済みやピークリミット済みのファイルでは、出力のクリップを避けるために 2〜3dB ほどゲインを下げる必要が出てくる場合があります。L と R モードの出力メーターでクリップが点かない位置に S1 の Gain を設定する、というのが公式の指示です。
この性質から、順序についての強い推奨が導かれます。最大出力レベルを得たいなら、ノーマライズやピークリミットは S1 の前ではなく後に、Waves L1 ピークリミッターで行うことが強く推奨される。マニュアルは具体的な数値まで示しています。
- S1 Shuffler を先に、L1(または +L1)を後に挿す
- 高レベル素材、あるいは確実にクリップを避けたい場合、まずS1 の Gain を −6.0dB に設定する
- 次に L1 の Threshold を −6.3dB、Out Ceiling を −0.3dB に設定する
- L1 を S1 が新たに作ったピークを抑えるためだけのリミッターとして使うことで、ユニティゲインを保ったまま S1 の処理に安全なヘッドルームを与えられる。ユニティを超えるゲインが必要なら L1 の Threshold をさらに下げる



「何も動かしていないのにピークが変わった」と戸惑う場面は、ここが原因です。S1 の位相補償は幅を変えていなくても働いている、とマニュアル自身が書いています。リセット状態=無処理、ではありません。
似た製品との使い分け
まずコンポーネント間で選ぶ
S1 の場合、比較の第一段階は他社製品ではなく自分の中にあります。Shuffling が要らない仕事ならS1 Imager を選ぶことで処理能力を節約でき、複数の Waves プロセッサーを縦に並べるときに他のコンポーネントへ余力を回せる、とマニュアルは書いています。マトリクス変換だけが目的なら S1 MS。2011年版のガイドはこれに加えて、高解像度のマスタリングや厳密な用途向けとして S1 Shuffler (48)(TDM 専用)を推していましたが、現行版ではこの推奨ごと削除されています。したがって現在の選択は Shuffler・Imager・MS の3つからになります。
EQと組む——MSイコライゼーション
S1 の MS 機能は、単体よりも他の Waves コンポーネントと組んだときに効きます。マニュアルが名指しするのは Q10(または Renaissance EQ)です。
構成は「MS マトリクス → n バンドのステレオ EQ → 出力用の S1 モジュール(Imager か Shuffler)」。このときEQ の左チャンネルが M を、右チャンネルが S を処理することになります。組む際は、最終段の S1 を MS 入力モードにし、極性を両方「+」、チャンネルスワップは解除しておく、というのが公式の指示です。
これで何ができるかというと、周波数ごとに幅を変える調整です。S チャンネルを 1kHz でブーストすれば 1kHz 付近のステレオ幅が増え、M チャンネルを 1kHz でブーストすれば同じ帯域の幅が減ってファントム中央が強くなる。マニュアルが挙げる実例は、素材によっては中抜け(hole-in-the-middle)が起きやすい Crown SASS マイクの出力に対してM チャンネルの 400Hz 付近を適度にブーストする処理で、他の帯域の全般的なステレオ像に影響を与えずに大きく改善できる、としています。
ワンポイントマイクの低域補正の例も具体的で、低域ロールオフによって幅が減る現象に対しては S チャンネルを 6dB/oct でブースト——ローシェルフを +18dB にして周波数をスライドさせる(通常 100Hz 以下、16〜50Hz あたりが一般的)。ダミーヘッド録音や 15〜50cm 間隔のマイクなら、S チャンネルに 300Hz で +3dB、低域が誇張されるのを補うため M チャンネルに −1dB のシェルフという数値が挙げられています。
ただし条件が1つ。低域全体のシャッフリングは EQ で作らず、最終段の S1 Shuffler で行うほうが望ましい——専用に設計されたものだから、とマニュアルは明記しています。広帯域の幅についても同様で、出力段の S1 の Width コントロールを使うのが望ましいとされています。
片側だけEQする
もうひとつ、マニュアルが「one-sided EQ」と呼ぶ使い方があります。ステレオステージの片側の音だけを EQ し、中央の音には一切影響を与えないという処理です。たとえば左側の音だけ高域を明るくして、センターのボーカルには触れない。構成は「S1 Imager → Q(n) → S1 Imager」の3段で、最終段は S1 Shuffler でも構いません。左側が対象なら前段に「S1 LeftSideIn」、後段に「S1 LeftSideOut」というセットアップファイルを読み込みます(右側なら RightSideIn/RightSideOut)。EQ の左右を連結したまま動かせば通常の EQ として働き、連結を解除したときに初めて片側だけの EQ になります。
同じ MS の考え方で、FM 放送のノイズ低減の例も挙げられています。FM 受信は M チャンネルより S チャンネルにノイズが多いため、S チャンネル側で可変ノッチフィルターをかけると、M チャンネルにいる中央の音の音色には影響を与えずにヒスを減らせる、という使い方です。
L1との関係
すでに述べたとおり、L1 Ultramaximizer は S1 の代替ではなく後段に置く相方として、マニュアル自身が指定しています。S1 が作ったピークを止める役です。
よくある質問
どんなステレオ素材にも効きますか?
マニュアルは第9章を丸ごとこの話題に充てています。スタジオで制作され、一般的なステレオミキシングコンソール(またはそのデジタル版)を通った標準的なステレオ素材については、優れた結果が得られる。必要な注意は「2チャンネルが同相であること」だけです。
一方、ライブ収録などのステレオマイク技法では、期待どおりに働かない場合があります。数センチを超えて離したペアでは、中央から外れた音が2本のマイクに異なる時間・位相で到達するため S1 の動作に影響が出る。数センチ〜約1メートルの間隔では Width がファントム像に対してうまく働かず、色付いた・焦点の甘い音になることがあるので、Width を 1 付近に置いたまま Gain・Asymmetry・Rotation だけを使い、Shuffler の周波数も通常より低めにするとよい。約1メートルを超える間隔では Rotation や Asymmetry の単独使用は効果が薄く、2つを一緒にドラッグしてバランスコントロールとして使うほうが有効な場合がある、とされています。
バイノーラルのダミーヘッド録音や、それに類する方式(Schoeps の球体マイク、Crown SASS など)についてはさらに率直で、これらは非常に非標準的なステレオを生むため S1 で改善されないことがあり、本来は別種のシャッフラーを必要とする、と書かれています。ただし続けて「S1 はこれらのマイク向けに設計されたものではないが、そこで得られる効果が気に入ったなら自由に使ってよい」とも添えられています。適用外を明示したうえで使用は禁じない、という書き方です。
モノ素材を疑似ステレオにできますか?
できません。マニュアルは冒頭で、モノ素材から擬似ステレオのマスターを作ることは意図していない、と明記しています。左右に同じ信号を入れたデュアルモノに対しては、Width と Shuffling は効果を持ちません。ただし Rotation はデュアルモノ入力をパンできるので、モノ/ステレオを問わずミキシングボードのパンコントロールの代わりとして使える、とも書かれています。
MS入力モードで左右を入れ替えたいのですが
チャンネルスワップボタンではなく、M の極性ボタンを使います。MS 入力モードでは、極性とスワップの挙動が LR モードとは変わるためです。マニュアルの説明は次のとおりで、いずれも MS マトリクスの数学から生じる帰結です。
- MS 入力モードで極性ボタンを片方だけ使うと、ステレオ像が反転し、後段へ送られる左右信号が入れ替わる
- MS 入力モードでチャンネルスワップを使うと、左右の入力はそのままで、どちらか一方の極性が反転する
やりたいことと押すボタンが直感と逆になるので、MS モードで作業するときは覚えておく価値があります。なお MS 入力モードでも、出力は常に標準の左右ステレオです。
モニター環境の条件はありますか?
マニュアルは冒頭と最終章の2か所で念を押しています。S1 はミックスの空間的側面を扱う道具なので、モニターシステムが正確なステレオ像を伝えていることが必須である、と。数値としては、2本のスピーカーが聴取位置に対してなす角度は 45〜60度あたりが最適で、これはスピーカー間の距離が聴取距離の 0.7〜1 倍にあたるとしています。ヘッドホンについては、聴こえるステレオ効果はスピーカーと同じにはならず片方から他方を確実に予測することはできない、リバーブなど無相関の成分はヘッドホンで 6dB 程度大きく聞こえることもある、と限定が付いています。
4つのコントロールはいつ生まれたものですか?
マニュアルは第8章に来歴をまとめています。Width は 1931年にアラン・ブルームラインが発明したもので、ステレオ感を調整するコントロールとしてはおそらく最古、バランスコントロールよりも古い。Rotation は 1950年代にテレフンケンから提供されていたものの一般化せず、ドイツの放送用ミキシングデスクを除いて忘れられました。Asymmetry については、考案者を 1980年代中頃のマイケル・ガーゾンとしたうえで、マニュアル自身が「このコントロールを使用した最初の商用製品である」と書いています。
Shuffling は、用語自体を 1930年代にブルームラインが作り、この種のシャッフリングは 1950年代にイギリスの EMI でヴァンダーリンが考案。EMI 初期の「Stereosonic」録音で短期間使われたのち廃れ、1980年代中頃に Lexicon のデイヴィッド・グリージンガーが再発見して同社のデジタルエフェクターに組み込まれました。位相補償の重要性は 1950年代のヴァンダーリンも知っており EMI の機材に組み込まれていたが、S1 は位相補償を組み込んだ最初の市販シャッフラーだと考えられる、というのがマニュアルの記述です(原文が「believed to be」という書き方であることも含めて、そのまま紹介しておきます)。
まとめ
- Shuffling は装飾ではなく、聴覚が約700Hz の上下で方向判断の方法を変えることへの補正。定位重視なら 1.6/650Hz、広がり重視なら 2.0〜2.5/650Hz が公式の推奨値。
- Width はステレオでのみバランスを変え、Asymmetry はモノでも変える。Rotation は定位だけを動かす。役割分担は「何を動かさないか」で決まっている。
- 位相補償の副作用でリセット状態でもピークが変わる。高レベル素材では S1 の Gain を −6.0dB にし、L1 を Threshold −6.3dB/Out Ceiling −0.3dB で後段に置くのが公式の指定。



広げるプラグインの良し悪しは、広がった量ではなくモノに落としたときの損失で決まります。S1 はその判定基準を画面の角度として持っている。そこが、この古い道具がいまも残っている理由です。
関連記事
- Waves S1 Stereo Imager — 入門編。まず使い方から知りたい方はこちらへ
- Waves Q10 Equalizer — マニュアルが MS イコライゼーションの相方として名指しする EQ
- Waves Renaissance EQ — 同じくマニュアルが選択肢として挙げる EQ
- Waves L1 Ultramaximizer — S1 の後段に置くピークリミッター
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